バイク事故で重度の記憶障害に…7回目の挑戦でつかんだ国家資格

西日本新聞 くらし面 山下 真

 脳を損傷した影響で言語や思考、学習などの能力に支障が生じる「高次脳機能障害(高次脳)」となった後、記憶力の低下にもがきながら、7回の受験を経て行政書士の資格を取った男性がいる。障害の特性を客観視し、高次脳と向き合って生きる男性は「障害が自分を大きく成長させた」と体験談を寄せてくれた。

 男性は、福岡県久留米市で行政書士事務所を開く田端浩一さん(39)。高次脳の当事者は感情をコントロールできず怒りっぽくなる傾向があるが、対面した田端さんは柔和で温厚な雰囲気がにじみ出ていた。

 「怒って感情を爆発させると、脳が疲れて眠たくなる。負担を減らすため、いつも落ち着くように心掛けています」。ゆっくりした口調で、自らの歩みを語ってくれた。

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 2008年4月、27歳だった田端さんはバイクで仕事から帰る途中、車と衝突する事故に遭った。脳内出血がひどく、救急搬送された病院で一命を取り留めたものの、脳挫傷や体のまひ、骨折などに加え「高次脳機能障害」と診断された。

 この頃から重度の記憶障害が現れた。入院中は家族の名前も、友人がお見舞いに来てくれたことも忘れた。排せつや空腹の感覚も分からなくなり、退院後の自宅ではトイレに長時間こもり、食事や菓子を食べ続けて10キロ近く太った。

 両親との衝突も絶えなかった。通院に付き添う母にいら立ち、怒鳴って泣かせたこともあった。一眠りすると自分の言動を忘れてしまうため、両親の冷たい態度にまたいら立った。「何であんなことを言ったのだろう」。一時的に後悔しても、それを忘れて同じことを繰り返す日々。生きる意味を見つけられず、自殺も考えた。

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 自宅でリハビリの筋トレや散歩は続け、合間に漫画を読んだ。最新巻まで読み終えるとストーリーを忘れていて、また1巻から読み直す。それを繰り返すうち、不意に話の続きを思い描けることがあった。無意識に内容を覚えていたことに気づき、「こんな俺でも時間をかければ覚えられる」と小さな希望を感じた。

 事故前は美容師として働いていたが、右半身がまひし、手足を動かしながら会話することができなくなった。「体より頭を使う仕事の方ができるかも」。将来を考えるうち、行政書士を目指すと決めた。

 実際に勉強を始めると、簡単ではなかった。参考書をめくると、蛍光ペンで線を引いた形跡はあっても、ペンを使って勉強した記憶そのものが失われていた。2~3週間すると勉強から遠ざかり、漫画ばかり読むようになった。

 そんな頃、病院で車椅子に乗った幼い男児を見かけた。目が合うと、男児の目はきらきらと輝いていた。必死で生きようとする力強いまなざしに、ふさぎ込む自分が情けなくなった。「あの子に比べれば、自分の障害はちっぽけなのに…」。雷に打たれた気分で、勉強を再開した。

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 高次脳となった自分を見つめるうち、田端さんは脳内で起きる三つの現象を自覚した。頭の中にある大きな渦に手を入れるイメージを浮かべると、過去の記憶が映像で流れる「記憶のハリケーン」。誰かと会話する際、脳に負荷がかかり、ブレーカーが落ちるように意識が遮断される「記憶のショート」。そして、脳内で別人格2人の声が聞こえ、自分と話し合いをする「三者会議」。

 それぞれを客観的に分析してこう名付けると、感情が高ぶっても冷静に対応できるようになった。脳科学の書籍も読みあさった。印象に残ったのは、記憶力を競う大会で優勝した人が、物事を忘れることができず苦しんだ話だ。何でも忘れることを長所と思えるようになり、「忘れても、また覚えればいい」と気楽に考えた。

 行政書士は、法律知識が必要な国家資格。家族は「頑張って」と応援してくれたが、合格の可能性には半信半疑だった。支えとなったのは、事故前から交際していた女性だ。勉強から逃げようとすると、「本当に合格する気はあるの」と怒られた。信じてもらえるのがうれしかった。

 合格した姿を常に思い浮かべながら、8年ほど勉強を続けた。そして16年1月、7回目の試験で合格した。

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 現在、事務所を構えた田端さんは障害認定のサポートなどの業務に当たる。記憶障害を補うため、メモを多用し、依頼者には必ず確認の電話を入れる。自分の記憶を疑い、書面の記録に従うことを徹底する。右手足にはまひが残り、訓練した左手で文字を書く。支えてくれた女性と結婚し2児の父となった。おむつの交換や入浴など、育児にも積極的に協力している。

 「高次脳になると、昔の自分に戻ろうとする人が多い。でも、過去にこだわらず、現状を受け入れ、どれだけ成長できるかを考えた方がいい」

 事故前の「大ざっぱな性格」から一変し、「一日一生」をモットーに日々を懸命に生きる。高次脳になって苦しんだおかげで今の自分がある。経験に感謝していると話す田端さんは、こう強調した。

 「頭の中は誰にも強制されず、自由。すべては自分の捉え方次第です」

(山下真)

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