あの映画その後

「聖火リレーと復興を重ねるのはおかしい」豊田監督、福島を追い続け

西日本新聞 吉田 昭一郎

あの映画その後 震災原発事故10年目へ~「遺言」「奪われた村」(上)

 東日本大震災と福島第1原発事故からこの春で10年目に入る。これまで公開された数多くの震災原発事故関連のドキュメンタリー映画の中で印象に残る作品を選び、その監督と主な登場人物のその後を追った。今、どう過ごし、何を思うのか。フォトジャーナリストの豊田直巳さん(63)が監督した「遺言-原発さえなければ」「奪われた村-避難5年目の飯舘村民」からスタートしたい。

 「今の福島を象徴する場所を、と言うから、ここだと思ったんですよ」。豊田さんは、福島県飯舘村の東京五輪・聖火リレーのゴールとなる道の駅「までい館」(同村深谷)を待ち合わせ場所に選んだ。たどり着くと真新しい建造物があった。木肌を残す柱や壁に落ち着いた風格がある。

 飯舘村は、6年間の全村避難をへて2017年春、大半の村域で避難指示が解除された。までい館は村が総事業費13億7千万円をかけて整備し、同年夏に開館した。初年度は900万円の赤字だったが、赤字額は徐々に減っているという。復興関連事業の関係者だろうか、背広や作業服姿の人たちが館内のコンビニに入っていった。

 豊田さんはこの日、村内で独自に放射線量を計測し記録し続けている伊藤延由さん(76)に依頼し、村内の聖火リレー発着地とコースとなる県道12号の路上の空間線量を測ってもらった。伊藤さんは「奪われた村-」に出演し、飯舘の山菜などの汚染状況を伝えた。

 までい館の敷地の線量は毎時0・07マイクロシーベルトと低かった。伊藤さんの測定では「東京・新宿レベル」(今年1月)だという。ICRP(国際放射線防護委員会)勧告による平時の被ばく限度基準に沿い、国が長期的な目標とする追加被ばく線量=年間1ミリシーベルト(毎時換算0・23マイクロシーベルト)=を大きく下回っている。

 出発地の村交流センター「ふれ愛館」(同村草野)も毎時0・13マイクロシーベルトと低い。両館ともに除染が行き届いているようだ。だが、コースに入ると様相が変わってくる。

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