あの映画その後

「人の気持ちもつながりも放射能は壊した」飯舘村の元酪農家は嘆いた

西日本新聞 吉田 昭一郎

あの映画その後 震災原発事故10年目へ~「遺言」(中)

 福島第1原発事故(2011年)関連のドキュメンタリー映画の監督や登場人物たちは今、何を思うのか。福島県飯舘村を主舞台に事故後3年間を記録した「遺言-原発さえなければ」。主人公である飯舘村の元酪農家、長谷川健一さん(66)は全村避難6年の歳月を経て、同村前田の自宅に戻っていた。「遺言-」の豊田直巳監督とともに訪ねた。

 山あいの谷の斜面に畑が広がる。除染後、2年前から長谷川さんがソバ作りを試みている。今は休耕期だが、よく耕運されており、雑草はない。

 2月3日、長谷川さんを自宅に訪ねると、映画の通り、ざっくばらんに来し方と今を語ってくれた。

 17年春の避難解除の後、父親と妻の3人で帰村した。事故前は酪農後継者の長男家族らも含め4世代8人の大家族だった。寂しさは隠せない。

 酪農は廃業し、牛舎はソバ乾燥調整施設になっていた。昨年は24ヘクタールで生産、今年は30ヘクタールまで作付面積を増やすという。だが、希望に満ちた営農再開というわけではなさそうだ。

 「マスコミがかぎつけてな、そうやってソバ作って(農地を)荒らさないようにやってる、って、すぐ(取材が)始まんだよ。俺、全部(取材依頼を)断ってる。いかにも復興してやってますよ、みたいな広告塔にはなんねえ」

 昨年は15トン以上を収穫した。殻付きの玄ソバの放射線量は1キロ当たり6ベクレルで、国の出荷基準100ベクレルを大きく下回り、余裕でクリアした。しかし、売れずに農協の倉庫に眠っているのが現実だ。

 ソバの栽培地が広がるのは、増える遊休農地を借り受けるからだ。耕作地を放棄すればすぐ雑草に覆われ森に返る。荒れ地の広がりは見るに忍びない。除染後の農地を耕せば面積に応じ県補助金が出る。ソバ作りはコンバインなどの機械があれば全過程を一人でこなせ、面積も稼げる。

 長谷川さんはそう内情を明かし、断言する。「(ソバ作りは)生業(なりわい)にはなんねえ」「だから、飯舘は営農でどんどん復興してますなんて書かれたんじゃ、たまったもんじゃねえ。本当の現実をとらえてほしいんだ」

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