あの映画その後

「人の気持ちもつながりも放射能は壊した」飯舘村の元酪農家は嘆いた (3ページ目)

西日本新聞 吉田 昭一郎

再生への思い、一つに結びつかず

 歳月は人間関係も難しくしていた。村民は避難指示の解除後、帰村するかどうかを迫られ、立場が分かれる。

 行政側は、帰村者には一時金20万円や各種補助金で手厚く支援する。一方で、村に戻らなかった人には解除後、住宅提供・家賃補助を打ち切った。

 「行政はさあ戻ってください、戻らない人には手当はありません、戻る人にはこういう支援がありますよ、とやる。すると、だんだん『帰らない人は悪い』という風な雰囲気になり、そういう言い回しになっていくんだな。戻れないわけがそれぞれあるのに、それは伏せられる」

 友人だった菅野典雄村長との間にも溝ができた。村の復興へ国、県と協調し予算を引き出す村長と、行政に問題提起をする長谷川さんでは意見が分かれる。

 避難解除の年の17年度村予算は事故前の約5倍の212億円に達した。飯舘小中学校、村運動場、体育館、村交流センター、道の駅、公営住宅…。新施設が続々と誕生した。長谷川さんはソフト面の充実を訴え、週2回午前中だけ、1カ所の開設にとどまる村診療所の拡充など帰村者ケアを求めてきた。

 「村長は復興の旗揚げにどんどんハコモノを建てている。『年寄りしか戻らず税金が上がらない村でどう維持管理するんだ。“第二の夕張”になるぞ』と言うんだけど、話を聞かねえ。何言ってもだめだ、ということで、俺らも諦めムードだから」

 同じ村の被災者として共に持つ、ふるさと再生への思いが一つに結びつかず、もつれていく。

 「とんでもない放射能という怪物は、人の気持ちも人のつながりも壊していくんだ。とにかく、すべてのものを壊していく」。長谷川さんは慨嘆した。(吉田昭一郎)

 遺言-原発さえなければ(2013年) 豊田直巳さんと、野田雅也さん(福岡県久留米市出身)共同監督。福島第1原発から約30キロ離れていながら放射能に汚染された飯舘村の酪農家、長谷川健一さんらの3年間を記録したドキュメンタリー映画。牛乳の出荷停止と牛との別れ、避難と家族離散の日々を記録している。苦難から自殺した人たちの現場や生前の暮らしぶり、遺族らのインタビューも収録した。全5章、225分。

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