聞き書き「一歩も退かんど」(95)Hさんと出会ったら 志布志事件冤罪被害者 川畑幸夫さん

西日本新聞 オピニオン面 鶴丸 哲雄

 そもそも志布志事件はなぜ起こったの? 読者の方からそんな疑問を頂いていました。一部を話しますが、私の推測交じりという前提でお聞きくださいね。

 鹿児島県警の標的が、県議に初当選した妻のいとこの中山信一だったのは間違いないと思います。だから中山の選挙の裏方だった私が、最初に志布志署へ引っ張られたのです。中山が失脚すれば誰が得するか-。対立候補ですよね。

 これは裁判に出た事実ですが、投票日の2003年4月13日、捜査班長のI警部と部下のH警部補が、大隅半島で警察行政などに多大な影響力を持つM県議を訪ねました。I警部はM県議と旧知の仲。選挙情報を得る目的だったと証言しました。指揮官のK署長も容認していたはずです。

 投票日に選挙違反の捜査班長が候補者と会うとは、異常ですよね。M県議の陣営は摘発しない暗黙の了解があったのでは。

 M県議に真相を聞きたいのですが、それは無理です。07年6月22日午前3時45分ごろ、自宅近くで軽乗用車にはねられ亡くなりました。なぜこんな時刻に夜道を歩いていたのかは、誰にも分かりません。

 こんなふうに志布志事件は今も謎だらけ。だから私はこれからも取調室の可視化実現へ行動していきます。では読者への感謝を込めて最後のエピソードを。

 数年前、鹿児島市の弁護士の焼き肉パーティーに招かれました。ある弁護士が「踏み字事件の川畑さんだ。よーく話を聞けよ」と司法修習生の女性を紹介しました。彼女が司法の道を志したのは、小学校の同級生の転校がきっかけとか。

 「親友の家に街宣車が来て、お父さんが関わった事件が報道され、それで学校でいじめを受けて、福岡へ引っ越したんです」

 ん? その同級生は、私に踏み字をさせたH警部補の娘ですね。「ごめんなさい。街宣したのは私です。でも不法を正すためやったのです」と伝えました。

 1度だけ街宣したH警部補の家。2階の窓際に人形やぬいぐるみが並んでいたのを覚えています。その持ち主の少女がいじめの被害者になったとは…。何とも言えない気分でした。

 そんな記憶がよみがえる夜はこんな想像もします。Hさんと天文館でばったり出会ったら…。「お互いに一歩も退(ひ)かんやったな」と言いますかね。いや、何も言わず焼酎のロックを2人で飲んでみたいですね。 (聞き手 鶴丸哲雄)

 =おわり

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