あの映画その後

見ようとしなければ見えない苦悩 福島のいまを撮り続ける

西日本新聞 吉田 昭一郎

あの映画その後 震災原発事故10年目へ~「遺言」(下)

 福島第1原発事故(2011年)の直後から3年間、福島県飯舘村などの被災者たちを記録したドキュメンタリー映画「遺言-原発さえなければ」。豊田直巳さん(63)と野田雅也さん(45)が共同で監督を務めた。その主要な登場人物で避難解除後、帰村した元酪農家、長谷川健一さん(66)だが、実は決断するまで迷いに迷ったという。

 避難生活中の16年春、長谷川さんは日本から単身、チェルノブイリ(ウクライナ)に向かった。チェルノブイリ原発事故から30年を迎える節目、そして福島第1原発事故から5年。立ち入り規制が続く30キロ圏内に戻って暮らす「サマショール(自主帰還者)」たちに会いたかった。どう過ごしているのか、自身の目で確かめたかった。

 「いやあ、飯舘の将来が重なって見えた。そう実感したなあ。あれは」。そう振り返る。

 サマショールの集落では廃屋があちこちに見えて、恐ろしく感じた。その中で、ぽつんぽつんと高齢者たちが暮らしていた。広大な麦畑が林に変わっていた。政府は居住を容認しているようだった。自給自足だが週に1回、移動販売もある。電気も通じている。発病すれば救急車も来る。一時は1500人が戻ったが、今は100人ほどに減った、と聞いた。

 訪問までは飯舘への帰村を決めていたが、心が揺れた。最終的に帰村を選んだのは、「ふるさとで静かに余生を過ごしたい」という思いからだった。

 自ら撮影するなどしたサマショールの集落の映像は、「遺言-」の続編で2月29日に公開された「サマショール-遺言 第六章」(豊田、野田共同監督)に収録された。

 そこには、長谷川さんがなぜ汚染地域に帰村したのか、と尋ねたお年寄りが「ふるさとですから」と答える場面もある。生まれ育った土地の引力の存在も、また重なった。

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