ローカル線の厳しい現実 JR札沼線(北海道)

西日本新聞 夕刊 中原 岳

 北海道の大地を走る鉄路が今年5月、また一つ消える。札幌市から延びるJR札沼(さっしょう)線(営業キロで76・5キロ)の末端区間、北海道医療大学-新十津川(しんとつかわ)間。廃止区間の距離は、全体の6割に相当する。利用客の減少に歯止めがかからないためだが、無くなるのはやはり寂しい。大寒波が北海道を襲った2月上旬、お別れ乗車をしようと、路線最北端の新十津川駅(新十津川町)へ赴いた。 

 駅に着いたのは午前9時。粉のような雪が降り続き、駅舎の屋根にこんもりと積もっていた。50センチはあるだろうか。駅の温度計は氷点下6度を指していた。

 町観光協会のスタッフが「ありがとう 札沼線」と書かれたのぼり旗を立て、乗客を迎える準備を始めた。ここから5駅先の浦臼駅までの間を走る列車は1日1本。始発列車がその日の最終列車になる。「札沼線で札幌まで行く人はほとんどいない。廃止は仕方ないかな、と思いますけどね」。スタッフの女性が苦笑いしながら言った。

 札沼線の普通列車に乗ると、札幌駅まで2時間以上かかる。一方、新十津川駅から車で10分ほどの場所にはJR函館線の滝川駅があり、ここから札幌駅までは特急列車で約1時間だ。「どこへ行くにも滝川(経由)ですよ」と女性。札沼線が廃止されても、移動で困ることはないらしい。

 午前9時半ごろ、たった1両のディーゼルカーが新十津川駅に着いた。降りてきた乗客は27人。女性によると、廃止が近づき、土日は40~50人、平日でも20~30人が新十津川駅まで乗ってくるという。ほとんどがお別れ乗車を目的とした鉄道ファンで、そのまま折り返す。列車が出るまでの約30分間だけ、駅周辺はカメラを構えた人たちでにぎわう。

 午前10時、石狩当別行きの列車が新十津川駅を発車した。観光協会のスタッフが「札沼線」「ありがとう」と書かれた横断幕を掲げて見送ってくれた。相変わらず雪が降り、車窓は真っ白。多くの駅で乗降はなく、列車は黙々と走り続けた。

    ◇   ◇ 

 50分近く乗り、石狩月形駅(月形町)で途中下車した。「月形」という地名は、福岡県中間市出身の月形潔(1847~94)という人物にちなむ。月形は明治時代、樺戸集治監(かばとしゅうちかん)(刑務所)の初代典獄(所長)に任命され、囚人を率いて周辺地域を切り開いた。「月形町開拓の祖」と呼ばれているという。

 駅から徒歩5分の場所に町の歴史を伝える「月形樺戸博物館」があると知り、向かった。ところが、博物館の出入り口には「12月~3月 冬季休館」との貼り紙があった。博物館の前には月形の胸像があったが、こちらも雪に埋もれて表情がほとんど見えなかった。温暖な福岡で育った月形にとって、極寒の北海道での暮らしは身にこたえたのではないだろうか。先人の苦労に思いをはせた。

 午後1時50分発の列車に乗った。のんびり旅を楽しんでいると、北海道医療大学駅に到着。多くの学生が乗ってきて、車内は一気ににぎやかになった。ここから先は電化されており、5月以降も存続する。

 次の石狩当別駅で、札幌行きの電車(6両編成)に乗り換えた。車内は立ち席の客が出るほどの乗車率。そこに北の大地を行くローカル線の情緒はなかった。

 雪が消え、北海道の桜が満開になる頃、札沼線の末端区間は役目を終える。JR北海道は、他の路線でも廃止について検討したり、沿線自治体との協議を行ったりしている。ノスタルジーや風情といった感傷的な言葉では鉄道を残せない。そんな厳しい現実を実感した旅になった。(中原岳)

 ■ビール造りの開拓史学ぶ サッポロビール博物館

 北海道開拓の歴史をビール造りの視点から学べる施設。明治政府が設置した開拓使が北海道でビール醸造を始めた背景や、初出荷して全国に販路を築くまでの苦労が紹介されている。

 れんが造りの建物は明治期の建設で、ビール工場として使われていた。館内には開拓使時代の味を再現したビールを飲めるコーナーもある。

 札幌市のJR苗穂駅から徒歩6分。開館は午前11時~午後8時(入館は午後7時半まで)。入場無料。試飲付きの有料ツアーも。サッポロビール博物館=011(748)1876。

 【メモ】札沼線は札幌市の桑園駅と新十津川駅を結ぶ路線だが、列車は桑園駅の一つ先の札幌駅を発着する。札沼線の名前は、札幌駅と石狩沼田駅を結んでいたことに由来。新十津川-石狩沼田間が1972年に廃止され、現在の路線になった。札幌市近郊の沿線に大学が多いことから「学園都市線」の愛称がある。

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