当初の弁護方針に誤り 検証・大崎事件(12)

西日本新聞 社会面

 1980年9月16日、原口アヤ子さん(92)の控訴審第2回公判。その証人尋問調書を読み返すたびに「涙が出そうになる」と、弁護団の鴨志田祐美弁護士が打ち明ける場面がある。服役していた大分刑務所から証人として出廷した一郎さんが、当時妻だったアヤ子さんと自らの無実を法廷で訴えた部分だ。

 弁護人から「証人たちは(79年)10月12日夜に被害者を殺したことになっていますが、その晩、被告人のアヤ子は被害者宅には行っていないのですか」と問われ、一郎さんは「はい、行っていません。私もその晩は被害者宅には行っていません」と証言。アヤ子さんに加えて自らの潔白も訴えた。

 ところがその直後、弁護人から「証人はそんなことを言ってはいけません。今はアヤ子のことを聞いているのですから」と、発言をたしなめられる。さらに弁護人は「3人は控訴もせずに現在服役していますが、3人がやったことは間違いないのでしょ」。沈黙が続いた後、一郎さんは「私はしていません」と主張していた。

 弁護人の発言には理由があった。79年12月に始まった一審公判では、アヤ子さんだけが無罪を主張。一郎さんら親族3人は、捜査段階の自白をおおむね維持した。それに沿って、当時の弁護人も(1)アヤ子さんは無実(2)自白していた親族3人は犯人-との前提で弁護活動に当たった。

 このため、アヤ子さんと親族の公判手続きは分離された。同じ顔ぶれの裁判官3人が同時並行で二つの公判を担当。アヤ子さん主導の犯行を認めた「親族の自白」の信用性が争われないまま、裁判官はアヤ子さんに対する有罪の心証を深めたと考えられる。

 80年3月31日。否認事件であるにもかかわらず、初公判からわずか3カ月でアヤ子さんに懲役10年の一審判決が出た。同じ日の判決で、一郎さん懲役8年、弟の二郎さん同7年、その息子の太郎さん同1年。親族3人は控訴せず服役。アヤ子さんは無実を訴え、最高裁まで争った。

 再審請求後の弁護団は、アヤ子さんも親族3人も「全員無実」の弁護方針をとり、大崎事件は「殺人事件ではなく、自転車転落事故だった」との主張を続けてきた。

 「知的に障害がある一郎さんがやっとの思いで真実を語ったのを弁護人が制止してしまった。間違った弁護方針が誤判を招き、アヤ子さんたちの裁判を長引かせたことを、われわれ弁護士も反省しないといけない」。鴨志田弁護士は自戒を込めて語る。(親族は全て仮名)

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