江戸時代の出勤停止

西日本新聞 オピニオン面 上別府 保慶

 新型コロナウイルスによる混乱と似たことが、過去にもあったと分かる本がある。その一つは、福岡県生まれで歴史雑誌の編集者を経て作家になった楠木誠一郎氏の「江戸の御触書(おふれがき)」(祥伝社新書)だ。

 江戸幕府は新たに決めた法令や規制を「御触書」の文書で伝え、重要なものは江戸市中に35カ所あった高札場に掲げた。内容は、してはならないことを告げる禁令が多く「赤穂浪士を芝居や歌のネタにするな」というものや、生類憐(あわれ)みの令では「犬を殺した者を密告した娘に50両を与えた」と発表したものもあった。

 いちいちうるせいやい、という庶民の声が聞こえそうだが、徳川家光の治世の1650年には、旗本や御家人に対して「病にかかったら仕事を休め」と徹底する、今の状況を思わせるお触れが出たという。

 天然痘やはしか、水疱瘡(ぼうそう)の患者が家族に出たときは医師を通じて届けさせ、自分がかかったら出仕を差し止められる内容だった。そこは昔のこと。民を守るというよりも、将軍から病を遠ざけるのが目的で、身分の高い旗本といえども病気の種類によって、100日や75日などのお目見え禁止の期間を厳しく定めた。

 酒井シヅ順天堂大名誉教授が書いた「病が語る日本史」(講談社学術文庫)によると、激しい咳(せき)を伴うインフルエンザが大流行した最初の記録は古文書の「三代実録」にあり、平安時代の862年のことだった。1614年以降、鎖国の影響からか、ぱったりやんだ時期もあるが、1730年には再び欧州発のウイルスが長崎から入った。

 感染症は外から来るとする、今で言う「グローバル化」の影響という認識は昔からあった。人々は、疫病神のわら人形を作って海に戻すなどしたほか、1802年のインフルエンザを「薩摩風」と呼んだ。病魔は海を渡り九州を北上するという考えからだった。

 第1次世界大戦の末期から大流行し「スペイン風邪」と呼ばれたインフルエンザは日本にも上陸し、当時の政府発表で人口5500万人に対して39万人が死亡した。その中には佐賀県唐津市出身の建築家の辰野金吾や、軍人だった西郷隆盛の息子の寅太郎など九州ゆかりの著名人が多くいた。

 病の流行は人の上に人をつくらない。作家の芥川龍之介もかかり、熱と咳で「はなはだ苦しい」と友人に手紙で訴え、こんな俳句を添えている。

 「胸中の凩(こがらし)(木枯らし)咳となりにけり」

 今、米国ではトランプ大統領が再選に向け、新型コロナウイルスによる株価下落を警戒する。彼の祖父はドイツからの移民だった。スペイン風邪によって49歳で世を去っている。

 (特別編集委員・上別府保慶)

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