平野啓一郎 「本心」 連載第176回 第八章 新しい友達

西日本新聞 文化面

 その際につけたペンネームが、<あの時、もし跳べたなら>だった。そして、キャラクターを考え、そのうちの一つを、自分のアバターにすることにした。

 彼にとって、「ヒーロー!」とは、だから、これ以上ない褒め言葉であり、彼のファンは、誰もがそれを知っているのだった。

 彼は、交通事故に遭いそうになった瞬間、突如、人間離れした能力が覚醒するヒーローの物語を描きたかった。彼が、苦しんでいる弱者を救済する姿を夢想した。アイディアは色々とあった。キャラクターは、幾(いく)らでも思い浮かんだし、絵は非常に達者だった。しかし、物語を展開することが、どうしても出来なかった。

 そこで少年は、ひとまず自分のサイトで、キャラクターだけを公開し、漫画家志望のコミュニティに入って、メンバーと交流するようになった。そのうちに、とある企業から、彼のキャラクターをアバターとして購入したいという問い合わせがあった。安価だったが、それが彼が仕事を通じて得た最初の報酬だった。それを機に、収入を得るためにアバター・デザイナーとしての活動を始めたのだったが、瞬く間に評判となり、今では世界中に顧客がいて、ネット上の情報では、年収は五億円に達するとも噂(うわさ)されていた。

 二百万円という大金は、恐らく、僕にとっての二万円くらいの感覚だろう。それとて、見知らぬ人間にポンと渡すには、少なくない金額ではあるが。……

 

 僕は、<あの時、もし跳べたなら>と直接コンタクトを取る前に、アバターに詳しい三好にこの話をした。

 きっと彼を知っているだろう。そして、僕が彼から「ヒーロー!」と賞賛(しょうさん)されている話を、聞いてほしかった。

 三好はこのところ、どことなく苛立(いらだ)った、不機嫌な様子で、話しかけてもぞんざいな返事が多かった。

 僕は最初、何か気(き)に障るようなことでもしただろうかと考えていたが、そう尋ねると、少し煩わしそうに表情を和らげて否定された。勤務先で何かがあったのかとも訊いてみたが、それにもまた、首を振って、僕の詮索に幼さを感じたような疲れた表情をした。

平野氏のメッセージ

私たちの生を、さながら肯定する思想を考え続けています。主人公は、愛する母親を亡くしたあと、仮想現実によって再現された母親と生活することになります。その過程で見えてくる母の本心と、自分の心の変化が主題です。乞うご期待!

平野啓一郎(ひらの・けいいちろう)プロフィール

 1975年、愛知県蒲郡市生まれ、北九州市育ち。東京都在住。京都大在学中の99年、デビュー作「日蝕」で芥川賞。「ある男」(読売文学賞)など。「マチネの終わりに」(渡辺淳一文学賞)は福山雅治さん、石田ゆり子さん共演で映画化された。

マチネの終わりにの公式サイト

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