夏の甲子園連覇の主将 小倉高OB原勝彦さん死去

西日本新聞 北九州版 米村 勇飛

◆「みんなを鼓舞し続けた」扇の要

 元プロ野球選手で、小倉高(小倉北区)野球部OBの原勝彦さんが1月26日、心不全により89歳で亡くなった。高校3年時には同校野球部で主将を務め、1948年夏の甲子園では2連覇を果たした。忍耐強く、信頼も厚く仲間を鼓舞。高校時代にバッテリーを組んだ福嶋一雄さん(89)=小倉北区=は「みんなを鼓舞し続けた頼もしい先輩だった」と振り返る。

 小倉市(現北九州市)出身の原さんは、旧制小倉中(現小倉高)に進学し、正捕手として白球を追った。春の選抜大会と夏の選手権大会には計5度出場し、2度の優勝を経験した。明治大に進学し東京六大学野球でプレーした後は、社会人野球を経て54年に近鉄パールス(現オリックス)に入団。59年のシーズンを最後に引退し、その後は大阪府に自宅を構え、広告大手の社員として働いた。

 小倉高野球部には逸話が残る。48年夏の甲子園。前年の初優勝から2連覇が懸かる中、原さんは開幕前にナインに言った。「優勝旗は預けに行くだけ。また優勝旗を小倉に持って帰ろう」。決勝では桐蔭高(和歌山)に1-0で勝利。深紅の大優勝旗は再び関門海峡を渡った。

 1学年後輩で、エースとしてともに連覇を果たした福嶋さんは、原さんを「忍耐力があり、リーダーシップがあった人」と振り返る。原さんは47年夏の優勝後に主将に就任。「全国が『打倒小倉』を掲げ、甲子園に出るだけでも相当な重圧。その中で(翌年の)2連覇に導いた先輩の強さはさすが」と話す。

 最後に2人が会ったのは、2018年5月の高校同窓会。野球部OBで集まり、互いの近況報告に話が弾んだという。「そのときはつえをついてはいたが、元気そうだった。訃報は残念」と肩を落とす。

 原さんが2度出場した選抜大会は今年、新型コロナウイルスの影響で史上初の開催中止となった。福嶋さんは「関係者は難しい判断だったと思う。原さんだったらどう思うかは分からないが、大会関係者、選手ともに悔しさがあると思う。また夏に向けて頑張ってほしい」と球児らにエールを送る。

 同校野球部のOB会「愛宕クラブ」は、今春「原勝彦さんを偲(しの)ぶ会」を大阪市で開催予定だ。福嶋さんは「原さんが亡くなって喪失感はあるけど、原さんと話し足りなかったということはない。(バッテリーとして)これまであうんの呼吸でいろんな場面を経験し、話してきた。それで十分です」と落ち着いて振り返っていた。(米村勇飛)

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