平野啓一郎 「本心」 連載第185回 第八章 新しい友達

西日本新聞 文化面

 ただでさえ温暖化で紅葉も遅く、この時季はまだ見頃からはほど遠かったが、それでも、松の緑に楓(かえで)の朱色と銀杏(いちょう)の黄色が混ざり合って、青空を背に、鶴の噴水が立つ雲形池の水面(みなも)を鏡にして綺麗(きれい)だった。

「うわー、……色鮮やかですね。」

 イフィーは、何度も嘆声を上げた。

「空気も澄んでて、すごく気持ちいいですよ。」

「僕の家の仮想現実システムは、温度も風も、全部、再現出来るんです。だから今、僕は外気と同じ十二度の部屋にいるんです。微(かす)かに風も吹いてて。」

「そうなんですか。……すごいですね。」

「二階にあるんで、あとで案内します!」

 空の方々で、カラスがしきりに鳴いていた。

 頭を巡らせ、木漏れ日を見つめながら、ふと、≪縁起≫の体験を思い出した。

 この爽快な景色のすべてが、何光年も彼方(かなた)から見れば、途方もない闇の中の、ビー玉にも満たない小さな点の中の出来事なのだった。

 しばらく歩いて、薔薇(ばら)の花壇を横切った。僕は、その繁茂に目を凝らし、僅(わず)かに背の高い一本が、その傍らの一本を圧倒し、大きく花を開き、枝葉を伸ばしている様を眺めた。

 地球と太陽との隔たりは、一億四九六〇万キロだという。光は、それほどの距離を経てこの花に達しながら、最後のほんの数センチの差で、片方は伸び、大きく花開き、他方はその影の下で小ぶりなままなのだった。僕はそれが、この世の不公平の一種の比喩になっているように感じたが、イフィーに話しかけられて、それ以上、厳密に考えることは出来なかった。

 それから、無人の野外大音楽堂に足を運ぶと、僕は、ステージに立って摺鉢状(すりばちじょう)に拡(ひろ)がる客席を眺めた。自分では、まずしないことだったが、イフィーの希望だった。

「ここにたくさん、人が入ってたら気持ちが良いでしょうね。――やっぱり、どんなに精巧な仮想現実とも違うな、現実は。……」

 イフィーの呟(つぶや)きから、僕は彼が、普段はほとんど外出をしない生活を送っているのではと思った。そして、自分の気管を通って肺を満たす空気の清涼な爽快さを、心拍で高鳴る胸で感じながら、彼のVR室が「実質的に同じ」環境を再現したとしても、それは決して、同じではないのだと考えた。

平野氏のメッセージ

私たちの生を、さながら肯定する思想を考え続けています。主人公は、愛する母親を亡くしたあと、仮想現実によって再現された母親と生活することになります。その過程で見えてくる母の本心と、自分の心の変化が主題です。乞うご期待!

平野啓一郎(ひらの・けいいちろう)プロフィール

 1975年、愛知県蒲郡市生まれ、北九州市育ち。東京都在住。京都大在学中の99年、デビュー作「日蝕」で芥川賞。「ある男」(読売文学賞)など。「マチネの終わりに」(渡辺淳一文学賞)は福山雅治さん、石田ゆり子さん共演で映画化された。

マチネの終わりにの公式サイト

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