三代徳重さんの日記 1941(昭和16)年

西日本新聞 久 知邦

 太平洋戦争が始まった1941(昭和16)年、山の暮らしをつづった日記がある。結婚を間近に控えた、出征前の二十歳の青年が大分県で付け始めたものだ。昨秋、西日本新聞「あなたの特命取材班」が戦争の記憶に関する取材協力を呼び掛けたところ、情報が寄せられた。日記には「お国のため」など勇ましい言葉は見当たらない。のどかな四季折々の山の生活に、戦争が影を落としていくさまが淡々と記されていた。

◆三代徳重さん「昭和十六年当用日記」より

(親族の許可を得て、日記の一部を抜粋しています。※は本紙記者による補足)

 

一月七日 雨降 祝儀の諸事、一生の重大事なり

 午前四時、宗利君を見送って緒方駅まで行く。自分と敏彦君は竹田まで一緒に行き、九時八分の汽車で帰る。傘および下駄を買う。また手袋、計五円五十銭なり。家に帰り、また桜井まで魚の注文を取りに行く。二時ごろより、原尻に【※妻を】迎えに行く。五時ごろ帰宅す。福岡の叔父様来る。

 

一月十五日 晴 暖

 午前中、麻生要氏方に米すり【※脱穀】に行く。それよりオイシヤの兄方【※医者の家の近くに住んでいた義兄方】に行く(やはり米すり)。午後四時ごろまでに済む。それより山に行く。束切なり。帰って同級生の入営兵の送別会がある。午後六時ごろより行く。金二円十八銭ずつの割なり。午前一時半、帰宅す。朝、店の米すりに行くまでに、炭窯を止める。夜間、時雨が降る(少々)。

 

一月二十八日 曇雨 夜中より雨

 午前五時、父と家内は宮地嶽神宮に行く。俺は午前八時起床し、朝食を済まして手紙を書き、および雜の鼓を見る。手紙は基卉氏、および貞人君へ…。午後、敏ちゃんと二人で俺の家で酒七合ばかりをのむ。姉も来た。それより、敏ちゃん方でまた酒をご馳走になる。それから御庄屋に行って、餅をご馳走になる(力司君、秀人君も…)。それから三平さん方に行って、また酒一升五合くらいをご馳走になる。午前一時四十分に自宅に帰る。

 

一月三十一日 曇勝 大いに寒 青年の総会決算

 午前中に母と家内は炭木をうせる【※牛で運ぶ】。俺は挿し木を切り出す。午後三時より、青年の定期決算に付、全員出席す。酒三升(六夫氏一升出す)計四升(およびイワシ)。十時ごろ済む。それより俺と敏ちゃんは忠夫氏方に年始に行く。酒一升と牛肉なり。敏ちゃんは蓄音機を持って来て三名で踊る。午前一時帰る。母は夕方、原尻に酒取りに行く(婦人会の口なり)。本日中に木炭、四窯を焼く。

 

二月一日 晴天 少し風寒 当区の火祭なり

 前夜遅かったので朝寝をする。八時起床す。午前中、父と二人で木炭の入れ替えをする。母は金平参りに行く(婦人会全部)。父は桂三氏方の縁談に雇われて行く。午後四時より俺が火祭に行く。それまで炭窯の火を足し、家内は午後、原尻に遊び方々、うどんを作りに行き、夕方戻る。俺も夕方済んで戻り、ダガイをする【※牛に餌をやる】。

 

二月七日 晴天

 午前中、山に行く(枝干しの残りを済ます)。母と家内は午前中に木をうせる【※牛で運ぶ】。午後、炭の入れ替えをする。母と家内は午後、麦の中をする。俺は炭を入れ替えてから「クイワド」に炭の口木にする柳を切りに行く。帰ってから宮園の衛藤高士君方に行く。入営【※軍隊への入隊】の祝いに招待される。祝儀五十銭および餞別五十銭なり。朝の四時まで。泊まって帰る。

 

二月十四日 曇

 俺は一日中、縄をなう。昼食時に雨が降りそうなので、浦のわらを二荷持って帰る。父は大政翼賛会の結成会に行く。小学校である村民全部の戸主なり。母は朝から婦人会の買い物に行く。記念品とか何とかで三時半ごろ戻る。夜青年の小歌のけいこなり(今夜限りなり)。師匠が来ぬので青年後員の引き継ぎをする(十一時ごろに済む)。

 【※大政翼賛会 1940年、一元的な戦争指導体制を確立するために一部を除いたすべての政党は大政翼賛会に一本化され、下部組織として道府県や市町村、隣組も傘下に置かれた。国策遂行のための上意下達のシステムで、末端の国民生活まで統制したと言われる】

 

二月二十四日 曇小雨雪 診療所に行く

 朝八時に起きる。起きて見ると雪が真っ白である。それより着物を着替えて診療所に行く【※三日前に山で横腹を木で打ち負傷】。電気療法をして薬をくれる。十二時に帰る。昼食を食うて廃品の回収に歩く(古金類)(青年より)。四時頃すむ。

 

三月四日 晴天寒い 牛の子市に行く 受信・安藤賢治君より入隊のお礼

 午前二時起床して食を食い、それから準備をして午前三時、みなと一緒に牛を引いて行く。五時半に牧口の市場に着す。競り市の始まったのが十時なり。それまで退屈なり。小生方のは百六十一円なり。少し安い感じがしたが売った。

 

三月十日 晴天風 木炭の入れ替えの予定 発信・満州の麻生忠義君へ出す

 朝少し早く炭窯の下しきがないので、山に取りに行く。帰ったら馬車が炭積みに来たので手伝う。昨日の残りが五十四俵あったので皆持っていく。父は炭と一緒に倉庫に行く。馬車が出てから俺と母および妻の三人で炭の入れ替えをする。午前中で済む。午後三時までたいたら点火した。それより山にバイラ【※遺族によると、細い木の枝。炭焼きの着火に使っていた】ゆいに行く。母は家で長肥出しをする。妻は下のこんにゃく畑を掘る。妹にキング【※娯楽雑誌】を買わせる金六十銭。

 

三月十八日 晴天

 父は中尾道路の測量に出る。上緒方の上尾元彦氏が来て、酒を飲む(正午ごろ帰る)。夕食後、青年の集会がある。青年団の改正により、二十五歳以下となる。したがって敏ちゃんと元之君と俺の三名なり。青年団が青少年団となる。結成式は来たる二十一日。

 

三月二十一日 晴天 緒方の青年団総会。解散式ならびに結成式。

 午前六時サイレンが鳴る。同八時、荒平に集合す。作業を一時間くらいする(クヌギ苗の浦植えをする)。後、総会となる。青少年団結成式、および解散式。正午までかかる。帰って昼食を済まして、酒取りに行く(元之君と一緒に年野に行く。五升なり。青年団の用なり)。帰って、魚こしらえをする(オイシヤの兄方で)。午後六時ごろより、御酒上を始める。警防団の夜警の慰労会も一緒にする。そのほか、区長、顧問等に御出を願い、今後の青年団をいかにするかを相談する。その結果、従来通りとす。ただし、財産の維持のみとし、そのほか、事業、視察等、一切やめる。一年一回の総会を正月五日にすることなり。以上。三平氏の荒が出て、少々もめる。酒一升、追加す(三平氏の出不足。敏ちゃん)。西瓜のクラを作り、小肥およびリン酸、硫安を入れる。

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