出征前の青年が綴った山の生活日記 「日米開戦状態」…突然の幕
太平洋戦争が始まった1941年、山の暮らしをつづった日記がある。結婚を間近に控えた、出征前の二十歳の青年が付け始めたものだ。昨秋、西日本新聞「あなたの特命取材班」が戦争の記憶に関する取材への協力を呼び掛けたところ、情報が寄せられた。日記には「お国のため」など勇ましい言葉は見当たらない。のどかな四季折々の山の生活に、戦争が影を落としていくさまが淡々と記されていた。
大分県内に生まれ育ち、林業や農業で生計を立てていた三代(みしろ)徳重さん。日記は祝儀用の帽子を買ったことなど妻を迎える準備から始まる。妻への思いは書かれておらず、ただこうある。
1月7日 雨降
≪祝儀の諸事 一生の重大事なり≫
日記の大部分は、木炭作りなど山仕事の記録に充てられている。季節に合わせて苗床を作り、畑を手入れし、蚕の世話もした。日中戦争が泥沼化し物資の統制は始まっていたが、友人とたびたび杯を交わし、芝居も見に出掛けた。
3月11日 曇り雨
≪俺は一人でバイラ(木の枝)ゆい。母と妻は炭木をうせる(牛で運ぶ)≫
5月21日 晴れ曇り
≪蚕の四眠なり≫
7月9日 曇り3時ごろより雨
≪親友と一パイ。敏ちゃん、生吉…、それに俺の五名なり。酒一合ずつとサイダー三本なり。煙草(たばこ)二個を買う≫
日を追うごとに、戦地に赴いた友人との手紙のやりとりに関する記述が増える。6月には徴兵検査を受け、健康で最も兵役に適した「甲種合格」。軍事教練の成果を確かめる査閲も10月にあった。
10月17日 晴れ
≪夕食後、(祭りの)芝居のけいこ也。近衛内閣総辞職 号外≫
12月8日 晴天
≪朝、姉方の籾(もみ)を出しに行く。戻って春田ごしらえ。日米開戦状態≫
7日後、その日の仕事を記し、日記は突然終わった。 (久知邦)
◆三代徳重さんが残した日記は、こちらで読めます。