社会を変革させるパンデミック 流行終息後でさえ続く変化

西日本新聞 文化面

「歴史が教えること」寄稿・山本太郎氏

 歴史を振り返れば、私たちは、これまでにも幾度ものパンデミックを経験してきた。14世紀ヨーロッパで流行した黒死病(ペスト)や1918年から19年にかけて世界を席巻したスペイン風邪などである。 

 14世紀にヨーロッパで流行したペストは、最終的にヨーロッパ全土を覆った。流行は、居住地や宗教や生活様式に関係なくヨーロッパ社会を舐(な)め尽し。最終的に当時のヨーロッパは、人口の4分の1から3分の1を失う。当時のヨーロッパ社会がいかにこの病気を恐怖したか。ジョヴァンニ・ボッカッチョの『デカメロン(十日物語)』に詳しい。作品の背景には、ペストに喘(あえ)ぐ当時の社会状況が色濃く反映されている。

 「一日千人以上も罹病しました。看病してくれる人もなく、何ら手当てを加えることもないので、皆果敢なく死んで行きました」(「デカメロン-十日物語」野上素一訳、岩波文庫)

 ドイツ・バイエルン州にオーバーアマガウというアルプスに囲まれた小さな村がある。10年に一度、村人総出で世界最大規模の「キリスト受難劇」を上演する。それは、16世紀のペスト流行時の猛威に、神の救いを求めた代わりに、キリストの受難と死と復活の劇を10年に一度上演すると誓ったことに始まり、今に至るまで、400年近く続く。それほど、ペストの恐怖は、ヨーロッパ人の記憶に深く刻まれている。そのペストは、ヨーロッパ社会に大きな影響を与えた。

 ペストがヨーロッパ社会に与えた影響は、少なくとも三つあった。第一に、労働力の急激な減少とそれに伴う賃金の上昇。農民は流動的になり、農奴に依存した荘園制の崩壊が加速した。第二は、教会の権威の失墜。ペストの脅威(きょうい)を防ぐことのできなかった教会はその権威を失った。第三は、人材の払底。それはそれまで登用されることのなかった人材の登用をもたらした。結果として、封建的身分制度は実質的に解体へと向かった。同時にそれは、新しい価値観の創造へと繋(つな)がった。

 半世紀にわたるペスト流行の後、ヨーロッパは、ある意味で静謐(せいひつ)で平和な時間を迎えたという。それが内面的な思索を深めさせたという歴史家もいる。そうしたなかで、ヨーロッパはイタリアを中心にルネサンスを迎え、文化的復興を遂げる。ペスト以前と以降を比較すれば、ヨーロッパ社会は、まったく異なった社会へと変貌し、変貌した社会は、強力な主権国家を形成する。中世は終焉(しゅうえん)を迎え、近代を迎える。これがペスト後のヨーロッパ世界であった。

 新型コロナウイルス感染症のパンデミックが今後どのような軌跡をとることになるのか、現時点で、正確に予測することはできない。ただパンデミックが遷延すれば、私たちは、私たちが知る世界とは異なる世界の出現を目撃することになるかもしれない。

 それがどのような世界かは、もちろん誰にもわからない。しかしそれは14世紀ヨーロッパのペストのように、旧秩序(アンシャンレジーム)に変革を迫るものになる可能性さえ否定できない。そうした変化は、流行が終息した後でさえ続く。

 感染症は社会のあり方が流行の様相を規定し、流行した感染症は時に社会変革の先駆けとなる。そうした意味で、感染症のパンデミックは社会的なものとなる。

 歴史が示す一つの教訓かもしれない。

 ただ、希望はある。それは、私たち自身の心の持ちようによる。そう信じたい。

 ちなみに、検疫は、14世紀のペスト流行時にヴェネツィアで始まった海上隔離に起源を持つ。当初、隔離期間は30日であったが、その後40日に延長された。検疫(クアランティン)は、「40」を表すイタリア語が語源となった。

やまもと・たろう 長崎大熱帯医学研究所国際保健学分野・教授。専門は国際保健学、熱帯感染症学。1964年生まれ。著書に「新型インフルエンザ 世界がふるえる日」「感染症と文明 共生への道」など。

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