「あんたの本当のお母さんは…」母から告げられた秘密

放送作家・海老原靖芳さん聞き書き連載(10)

 前回は11歳の時の出来事でした。それから15年後、私は大学を出て結婚し、1児の父。横浜で暮らし、フリーのコピーライターとして働いていました。

 「父ちゃんが倒れた。八重子(叔母)も転んで入院した。できれば佐世保に見舞いに帰ってきて」。そのときの母からの連絡を拙著「還暦すぎて、陽(ひ)はまた昇る」(牧野出版)に書き残しています。

 同居するように過ごしていた3人。足の不自由な母の代わりに、私は入院している2人を見舞いました。横浜に帰る前、団地の自宅で母に「話がある」と呼ばれました。

 「あんたの本当のお母さんは八重子たい」

 「…」

 「分かったね」

 「分かった」

 そんなやりとりを記憶しています。物心ついた頃から悩み、不思議だった3人の関係。やっとはっきりしました。両親と叔母が住んでいた大黒団地を出るとき、母が自宅の窓から手を振ってくれましたが、その姿はかすんでいました。私は泣いていました。

 母から聞いた事実を、私は父と叔母に確かめることはしませんでした。話したところでどうなるでしょうか。2人の反応を見たくなかったのです。

 もし幼少時代に、あるいは中学や高校の多感な時期にそのことを聞いたら、私は生きていくことに苦しんだかもしれません。子どもを持ち、大人になったときに告白してくれたのは、母の優しさでしょう。3人とも他界した今、これで良かったと思います。

 産みの母は分かりました。では、父は本当の父だったのか。母は不妊症だったのではないでしょうか。どうしても子どもがほしかった。3姉妹の次女で、姉から養子をもらう話もあったようです。夫と妹の子でもいい。妹に代理母を頼んだのではないかとも考えました。もしそうなら、私が生まれた後、父、叔母に対する母の葛藤はいかばかりか。憎しみも、修羅場もあったでしょう。

 でも3人は終戦後、朝鮮半島から手を携えて命からがら帰国。佐世保に居を構えた後も、私が生を受けた後も、佐世保競輪場にあった食堂「みよし乃」でも一緒に生きてきました。そして私があるのです。父は父であり、母は母であり、夫婦だった。叔母も、両親とともに私の成長を見守ってくれました。

 3人からたっぷりと注がれた愛情。感謝しています。

(聞き手は西日本新聞・山上武雄)

………………
 海老原靖芳(えびはら・やすよし) 1953年1月生まれ。「ドリフ大爆笑」や「風雲たけし城」「コメディーお江戸でござる」など人気お笑いテレビ番組のコント台本を書いてきた放送作家。現在は故郷の長崎県佐世保市に戻り、子どもたちに落語を教える。
※記事・写真は2019年06月27日時点のものです

関連記事

長崎県の天気予報

PR

長崎 アクセスランキング

PR