根幹部分に拭えぬ疑念 検証・大崎事件(21)

西日本新聞 社会面

 「事件と事故の両面から調べる」。変死体が見つかると捜査幹部がよく口にするせりふだ。だが、大崎事件では、自転車ごと側溝に転落した影響による事故死の可能性を警察は想定していなかったのではないか、という疑問を前回述べた。想定した場合、捜査対象は自転車自体に限らない。

 被害者は事件当日の1979年10月12日午後6時ごろ、自宅から1キロ余り離れた路上に倒れており、近所の男性に発見された。連絡を受けたIさんとTさんが同9時ごろ、自宅に車で連れ帰ったとされる。

 路上に横たわる被害者の体はぬれていて、側溝に落ちたのは明らかだった。側溝は深さ1メートル、幅80センチほど。弁護団によると、検察側がこれまで開示した捜査資料の中に、側溝の構造や付近の道路状況を示す図面や写真などは確認できていないという。被害者宅や遺体が見つかった牛小屋などに関しては200ページ近い実況見分調書が存在するのとは対照的だ。

 弁護団で証拠開示を担当する泉武臣弁護士は「捜査段階では、側溝に関する証拠書類が何ら作成されていなかったことがうかがえる。捜査機関が事故死の可能性を何ら考えていなかった表れだ」と指摘する。

 不可解な点もある。被害者の遺体は司法解剖時、口や耳に泥土が入ったままだった。側溝に落ちた際に入った口の泥を吐き出せないほど重篤な状態だったことが想定される。にもかかわらず、路上に倒れていた時の被害者の様子を詳しく聞き取った「目撃者供述」は、IさんとTさんの調書しか確認できない。

 路上に倒れた被害者を最初に発見した西崎良一さん(61)の供述調査について、検察側は「既に廃棄されたようだ」と説明。Iさんに「側溝に落ち、道路に上げられている被害者を迎えに行ってくれ」と電話をしたとされる知人の供述調書についても、説明は同じだった。そもそも、側溝から被害者を引き上げた人物は誰なのか。その人の調書はどこにあるのか。

 そうした決定的に重要な目撃供述が、なぜそろいもそろって「不存在」なのか。事件当時、話を聞いていなければ初動捜査のミスだが、「ない」はずの証拠が何度も出てきた大崎事件の経緯を振り返れば、検察側の説明をうのみにはできない。

 事件当時の住宅地図には、現場の側溝付近に民家が何軒も確認できる。なのに午後6時から3時間近くも、口もきけない被害者が路上に放置され続けたことも不自然に感じる。大崎事件はその根幹部分に拭い去れない疑念をはらんでいる。

鹿児島県の天気予報

PR

鹿児島 アクセスランキング

PR

注目のテーマ