地下鉄サリン事件から25年…「オウム」の跡を訪ねて 熊本・旧波野村

西日本新聞

 人里離れた山あいに赤くさびた門扉が立つ。殺風景なこの地に、社会を揺るがしたオウム真理教の拠点があったことを想像するのは難しい。熊本県・旧波野村(阿蘇市)。最大約500人の信者が生活し、住民を不安に陥れた。後に地下鉄サリン事件を起こす教団は村に何をもたらしたのか。20日で事件から25年を迎えるのを前に、地権者の許可を得て跡地に足を踏み入れた。

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 「(拠点には)幼子を抱いた女性もいたが、村民は高台から見守ることしかできなかった。何とも言えない気持ちになった」。近くに住む高宮信一さん(73)はこう振り返る。

 東京ドームの3倍超の土地に教団が「波野道場」を構えたのが1990年。道場から親や子らを取り戻そうと全国から家族が駆けつけ、門前でせめぎ合った。

 教団進出からほどなく、住民は「波野村を守る会」を組織。代表世話人だった高宮さんも農作業の傍ら、監視小屋に詰めた。当時の村の人口は約2100人。信者が村議選に立候補するという話もあり、「えたいの知れない集団が奥座敷に居座る感覚だった」と高宮さん。日々拡大していく施設を見て、「村が乗っ取られる」と不安が募った。

 後の教団幹部の裁判では、毒ガスの量産計画があったことも明らかになる。信者に対する転入届不受理処分をめぐる訴訟に敗訴した村は94年夏、9億2千万円をオウム側に支払うことで和解し、教団が撤退。同会は入り口に記念の石碑を建てた。

 無舗装の道ばたで、高宮さんが枯れ草に覆われ、色あせたしわくちゃの紙片を拾い上げた。教団のポスターの一部だろうか。紙片には教祖・麻原彰晃としてあがめられていた松本智津夫元死刑囚=執行時(63)=の横顔が印刷されていた。

 「村に住み着かれ、事件に巻き込まれていたらと思うと、ぞっとする。あんな凶行を起こす集団だとは、あの頃は想像もできなかった」。高宮さんがかみしめるようにつぶやいた。

(文・宮下雅太郎、写真・帖地洸平)

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