「冤罪晴らす」仮釈放拒む 検証・大崎事件(23)

西日本新聞 社会面

 40年間にわたって無罪を訴えてきた原口アヤ子さん(92)は今、鹿児島県内の病院で入院生活を送る。言葉での意思表示が難しいため、これまで裁判に提出された記録などを基に、思いを振り返る。

 1927(昭和2)年、同県大崎町で生まれた。22歳で一郎さんと結婚。夫婦で農業に従事し、3人の子をもうけた。農家の長男の嫁として、同じ敷地に隣接して暮らす義弟の二郎さんや四郎さんの家族の世話もいとわなかったようだ。

 事件当日、結婚式で預けていた義妹の服を美容院に取りに行ったり、四郎さんが代金を払わず焼酎を持ち帰った店に謝罪したりしていることからも、それがうかがえる。「前科前歴もなく、平穏に暮らしてきた」と確定判決も評する。

 四郎さんに対する殺人・死体遺棄容疑で逮捕された時は52歳。夫ら親族3人の逮捕後だった。捜査、公判を通じ否認を貫いたが、夫たちの自白によって「犯行の主導役」とされた。

 自身に対する警察の取り調べの過酷さを、繰り返し述べている。鹿児島地裁での再審開始決定を受けた2002年の記者会見を伝えた本紙は「(取調官が)机をたたき『くそばばぁが意地を張りやがって』とののしられた。恨みは今も消えません」と語った、と記している。

 逮捕当日の79年10月30日付の供述調書には「私に逮捕状が出ているとのことで、今取り調べを受けているわけですが(中略)私には全然関係がなく、全く知らないことです。指図をしたこともありません」「でたらめな逮捕状を出した裁判官は殺したいぐらい残念でたまりません」。後の裁判所での尋問で、アヤ子さんはこの発言を認めている。

 想像してみた。身に覚えのない殺人容疑をかけられ取調室で罵声を浴び続けることを。自分を陥れたのが、長年連れ添った伴侶らの虚偽自白であることを-。

 懲役10年の判決が81年2月に確定、佐賀県の麓刑務所に収監された。「何もやっていないのに、なぜこんな罪を受けなくてはならないのかと腹が立ち、つらかった。毎晩寝てからも思い出し涙を流していました」(01年の裁判所の尋問)。

 それでも否認を貫いた。「罪を認め、仮釈放をもらったらどうか」。服役中に刑務所側から何回も勧められたと、99年に裁判所に出した意見陳述書で述べている。理由はこうだ。

 「やっていないのに『やった』と言うて仮釈をもらって早く出て、再審請求しても認められない。私には冤罪(えんざい)を晴らすことが大事、仮釈はもらいませんと言いました」。言葉通り90年7月に満期出所。63歳になっていた。 (親族は全て仮名)

鹿児島県の天気予報

PR

鹿児島 アクセスランキング

PR

注目のテーマ