「紅皿」から教わること 酒匂純子

西日本新聞 オピニオン面 酒匂 純子

 「牽牛(けんぎゅう)と織姫のように、年に1度『紅友』との逢瀬(おうせ)を楽しみにしていたのでがっかり」という投稿が、市川登美栄さん(77)から寄せられた(13日夕刊掲載)。毎年3月に100人ほどが集まる交流会「紅皿の集い」。今年は新型コロナウイルスのため泣く泣く中止にした。昨年も皆さん「あと1年頑張って長生きするけん」と言ってくださったのに。担当者として申し訳なさを感じるとともに、それほど楽しみにしてくださることを心からありがたく思う。

 「紅皿」は読者から愛され続けてきた。1954(昭和29)年にスタートして66年。4年前には当初10年分から42編を選んで出版した「戦争とおはぎとグリンピース」が話題を呼び、昨年はKADOKAWAが文庫化した。時代を超えて私たちの心を引きつけるのは、そこにかけがえのない「日常」があるからだろう。

 紅皿には年間賞があり、2019年分は2098通から3編を選び、先日紙面で発表した。お風呂が沸かないので釜を蹴ったところ実は電池切れだったことを突き止め、自分にもできることがあると自信を持った上妻寿賀子さん(84)。父親の葬儀に来ていた近所の子を「お父さんの最年少の友達」と見つめる重信あけみさん(54)。朝、ハイヒールを履いて全力ダッシュする見知らぬお姉さんから、ひそかに勇気をもらっている新社会人の佐藤瑞恵さん(23)。世を揺るがす大事件が起こるわけではない。いずれもささやかな、それぞれの明け暮れである。

 私たちはある時、いつもの風景が、ふと違ったものに見えることがある。頬をさっとなでる風だったり、前日には気付かなかった芽吹きだったり。身近な人の普段見せない表情だったり、不意に心を震わせる言葉だったり。「非日常」を伝えるニュースで埋め尽くされる新聞にあって、紅皿はそんな日常の瞬間をこつこつと積み重ねている。そんな瞬間を感じられることが、人が生きるということなのだとも思う。

 私は紅皿を読みながら、井上光晴さんの小説「明日 一九四五年八月八日・長崎」をよく思い出す。長崎を舞台に原爆をテーマにした作品ではあるが、原爆そのものではなく、前日である8月8日の人々を描く。泣いたり笑ったり、そんな日常が翌日理不尽に奪われることを、私たちは知っているだけに胸が詰まる。紅皿を毎日積み重ねられることは平和の証しなのだということも、紅皿から教わっている。

 (くらし文化部デスク)

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