首相会見とメディアのあり方 SNSで「共犯関係」に変化 価値ある報道 読者の支えを

西日本新聞 文化面

 新型コロナウイルスの拡大防止策について、2月29日に安倍首相が記者会見を行った。首相はプロンプターに映された原稿を読み上げるだけ。記者からの質問に対しても、事前に用意された原稿を読むばかり。しかも短時間で質問を打ち切り、ジャーナリストの江川紹子が「まだ質問があります」と声を上げる中、安倍首相は会見場を去って行った。

 立岩陽一郎は官邸記者クラブの問題を指摘する(「新型コロナウイルス拡大防止の総理会見を茶番劇にした官邸と官邸記者クラブの愚」Yahooニュース、3月2日)。事前に質問事項が記者側から渡され、首相は答弁書を読むだけの記者会見は「記者と総理大臣が演じる一種の茶番劇」である。問題の核心は何か?「それは、記者会見が事実関係を問いただす場にならないということだ」。日本の記者は、権力の側から情報をとることに力を入れるため、権力の機嫌を損ねることを恐れる。この記者と権力の共犯関係の典型的な例が「官邸記者クラブ」である。「次からは『記者クラブ主催総理演説会』と名称を変えた方が良い」と厳しい。

 政府側が不都合な報道を行うメディアに対して、コントロールを加えようとする姿勢は顕著である。厚生労働省や内閣官房、自民党広報などがSNSを通じて「羽鳥慎一モーニングショー」(テレビ朝日)や「Nスタ」(TBS)などの番組を名指しで反論した。明らかな誤報ならともかく、見解が分かれるものについて権力が介入することは、言論の萎縮につながる。新型コロナウイルス問題で、自主規制を促すあり方が、より露骨になっているといえよう。

 このような同調圧力に抗してきたシンボルが、東京新聞の記者・望月衣塑子(いそこ)の存在だ。彼女をモデルにした映画「新聞記者」が、日本アカデミー賞の主要3部門で受賞したことは意味がある。

 望月に続く流れも大きくなりつつある。福島で取材を続ける朝日新聞記者の三浦英之は、3・11から9年を迎えるに当たって安倍首相が福島を訪問した際、設定にはなかった質問をぶつけ、話題になった。首相のぶら下がりには、東京から随行する官邸記者だけが参加でき、地元記者ははじめから外す設定だったという。三浦は首相が立ち去ろうとしたときに「地元・福島の記者です。質問をさせてください」と声を上げた。首相は2、3歩戻り、再びカメラの前に立った。三浦が「今でも福島第一原発は『アンダーコントロール』だと考えているか」という趣旨の質問をすると、自らの認識の正しさを強調した上で「その上においてオリンピックの誘致が決まったものと思います」と答えた。三浦は回答に満足しなかったものの、ここで安倍首相が質問に応じたのは、首相記者会見に非難が集まっていることを「気にしているのではないかと個人的には感じた」という。そして東京の政治部若手記者に対して、「勇気を持って会見者に嫌がられる質問をして欲しい」と呼びかけた。(3月8日、本人ツイート)。

 日本マスコミ文化情報労組会議は、自らが発信者となって「十分な時間を確保したオープンな『首相記者会見』を求めます!」というキャンペーンを展開した。南彰をはじめとする呼びかけ人は、「日本記者クラブでのオープンで十分な時間を確保した記者会見が実現するよう、各報道機関が首相官邸に要請し、その立場を広く社会に表明するよう求めます」とし、メディア各社に呼びかけた。

 注目されるのは毎日新聞統合デジタル取材センターの存在だ。独自のアプローチで「桜を見る会」疑惑に迫り、その過程を『汚れた桜』(毎日新聞出版)として出版したが、ここには日々苦悩しながら、新しいメディアのあり方を模索する姿が率直に記述されている。重要なのは、記者が誰の目を気にしているかである。これまでは、情報をとるために権力の目を気にしてきたが、最近はSNSを通じて読者から見られているという感覚を強く持つようになったという。これが記者の変化につながっているのだ。

 私たち読者は、一人一人の記者の仕事に注目する必要がある。そして、価値ある報道をした記者を、応援の声によって支える必要がある。私たちもメディアの一員なのだ。

(中島岳志 なかじま・たけし=東京工業大教授)

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