「相互不信」の深い傷痕 検証・大崎事件(24)

西日本新聞 社会面

 原口アヤ子さん(92)は2004年、福岡高裁宮崎支部に提出した意見陳述書で1980年の確定審当時を振り返っている。

 警察で「あんたの夫は、『弟を殺した。妻も一緒だった』と自白した」と聞き、耳を疑った。でも裁判に出ると、本当だった。何でうそをつくのか。そのせいで懲役10年の刑を受けた。夫を到底許す気になれなかった-。

 再審請求の前に、アヤ子さんにはやっておくことがあった。90年7月に満期出所した直後、先に出所していた夫を訪ねた。「罪を晴らすため、私は再審をしようと思うちょる。あんたも一緒にやろうや」と迫った。一郎さんは80年のアヤ子さんの控訴審で、夫婦の無実を訴えていた。でも誘いを拒んだ。「俺は前科一犯でいい」。40年連れ添った夫との決別の瞬間だった。2人は離婚した。

 95年の第1次再審請求時からの弁護団メンバー八尋光秀弁護士(福岡市)は、当時のアヤ子さんの心境をこう説明する。「一緒に再審するなら、夫婦で暮らす気だった。意思確認に行ったんです」。八尋弁護士も一郎さんに手紙や面会で再審請求を勧めたが、最後まで首を縦に振ることはなかったという。

 事件で人間関係が破壊されたのは、夫との間だけではなかった。共犯として逮捕された義弟の二郎さん、息子の太郎さんは「自分たちはやっていないのに、アヤ子たちに事件に巻き込まれた」。二郎さんの妻ハナさんも不信感を募らせていた。

 アヤ子さんの方も、「自分の夫とアヤ子の共謀場面を見た」と供述したハナさんや、二郎さん親子の虚偽自白のせいで事件の主導役にされたと考えていた。

 04年発行の「叫び 冤罪(えんざい)・大崎事件の真実」。フリーライターの入江秀子さん(77)が95年末から約8年にわたりアヤ子さんから話を聞き、心情を丹念につづった一冊だ。その中に義弟一家への憎悪がにじむ場面が出てくる。

 <二郎は仮釈放の2年後(87年)、自ら命を絶った。獄中でそれを知ったが、二郎やハナへの同情は全くなかった。夫婦で私を殺人の首謀者に仕立て上げたという怨嗟(えんさ)の思いが強かった>

 その考えは、再審請求に取り組む中で変わっていく。02年には、アヤ子さんと親族3人の冤罪の可能性を認める再審開始決定が出た。冒頭に紹介した04年の陳述書では「3人がでたらめな自白をさせられたこと、ハナさんが私を目の敵にする理由も分かってきた。彼らの苦しみも理解できるようになった」と述べている。

 夫婦や親子、親族間の絆をも引き裂いた大崎事件。入江さんは「アヤ子さんは愚直なほど真っ正直な人。やっていないから、そう言い続ける生き方しかないんだと思う」。そして、こう付け加えた。「02年に再審開始決定が出たとき、(自殺した息子の再審請求を遺族として引き継いだ)ハナさんと、アヤ子さんが仲良く手をつなぎ、裁判所に入る場面があるんです。その姿に、ほっと心が救われる気がしたことを忘れられません」 (親族は全て仮名)

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