新喜劇、自殺志願者を救う…“笑い”の意義実感したエピソード

西日本新聞

放送作家・海老原靖芳さん聞き書き連載(60)

 大阪通いは1995年から2002年まで続きました。台本を書いて、演出もした吉本新喜劇。ベタな笑いを書いていた大阪の放送作家とは違った発想で、タイムマシンを登場させたSFっぽい全国ツアー用台本は演者に評価され、座長だった内場勝則らと信頼関係を築きました。

 出会いもありました。印象的だったのは檀上(だんじょう)茂さん。新喜劇で長年、台本を書いていた上方お笑い界の重鎮です。この方、「箱根から向こうはよう行かん」と江戸時代かよと思わせるほどの東京嫌い。私の新喜劇の作・演出も「東京の人間にやれるのか」と値踏みしていたようです。私も何となく距離を置きました。

 ある日、檀上さんになんばグランド花月近くの場末の居酒屋に誘われました。酒が進むうちに打ち解け、私が沢田隆治さんと仕事をしたことがあると知り、興味を持ってくれました。沢田さんは上方お笑い界のドン。「てなもんや三度笠(がさ)」や「新婚さんいらっしゃい」「花王名人劇場」などの制作に携わった方です。

 酔いが回るにつれ、あるエピソードを檀上さんは語りだしました。

 事務所に届いた檀上さん宛ての手紙。新喜劇を見ていた男性からでした。何をやってもうまくいかず、人生に悲観し、絶望して死のうと考えていた。その前に思い残さず、食って飲んで、そして大阪人なら新喜劇を見て首でもつるかと。

 しかし、新喜劇の舞台を見た男性は大笑い。「面白いわー。こんなバカどもも生きとるんや」。「死ぬつもりやったのに、もうちょっと生きてみよか」と自殺を思いとどまったそうです。感謝の手紙でした。

 檀上さんは続けます。「俺たちはそういうものを書いてきたんや。くだらんけどな、そこや。そこが大事や」。同感です。東西お笑いは違えども、根っこは一緒。一生懸命くだらないことを書いて観客に喜んでもらおう。それでいい。

 笑い、そして私たちの仕事の意義を感じました。絶望の淵に立っていた男をよみがえらせたのですから。

 新喜劇は故郷佐世保での公演も実現しました。それは今度お伝えします。大阪の笑いも知ることができ、面白い経験でした。横浜、引っ越した軽井沢から通ったかいがありました。

 あ、いま軽井沢って言うたばってん、そうさ。佐世保の大黒住宅貧乏育ちのおいが、日本一の高級別荘地に移り住んだとよ。そこでもいろいろあったとよ。

(聞き手は西日本新聞・山上武雄)

………………

 海老原靖芳(えびはら・やすよし) 1953年1月生まれ。「ドリフ大爆笑」や「風雲たけし城」「コメディーお江戸でござる」など人気お笑いテレビ番組のコント台本を書いてきた放送作家。現在は故郷の長崎県佐世保市に戻り、子どもたちに落語を教える。

※記事・写真は2019年08月27日時点のものです

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