ストレスで胃が痛み…「ビンボー人の小せがれ」高級避暑地で新生活

西日本新聞

放送作家・海老原靖芳さん聞き書き連載(62)

 日本本土最西端の町に生まれた私にとって、避暑地や別荘は無縁でした。通った大学は青山学院でおぼっちゃま学校と呼ばれていましたが、私は違います。何度も申しましたように、親の愛情は注がれましたが、長崎は佐世保のそれはそれは貧しい、貧しい6畳一間の大黒町市営第三住宅育ちでしたから。そんな男が、な、なんと、お金持ちの保養地として有名な軽井沢に住むことになりました。1999年12月のことです。

 当時「ドリフ大爆笑」「吉本新喜劇」「お江戸でござる」などの台本を書いていて貯金はたまりましたが、ストレスもたまっていました。制作会議ではたばこの量が増え、胃が痛みだして。もうこれではきつい。仕事の重みのせいでしょうか。倒れたり、亡くなったり、現場から逃げだして、そのまま行方不明になったりした放送作家もいました。

 テレビ番組は外から見ていると楽しいけれど、中で作っていると苦しみもあります。この日々のつらさを和らげるにはどうすればいいか。「そうだ、軽井沢に行こう」。何度か行ったことはあります。東京生まれで横浜育ちの妻ゆかりは、祖母が政治家ファミリーの別荘で賄いを頼まれていたことがあり、幼少期から夏休みに軽井沢へ行っていたそうです。

 私にとっては、大学の同級生のおぼっちゃまがテニスやゴルフの思い出話を咲かせていた地名。笑顔で聞きながら、内心はむかつき、反感を抱いていました。

 拙著「軽井沢のボーイ」(牧野出版)に記しましたが、ある日、TBSで番組スタッフとの打ち合わせの合間に「小さいとき、どうやって数の数え方を覚えたか」が話題になりました。ほとんどが「親と一緒に風呂から出るとき」でしたが、1人だけ違いました。

 TBSの正社員で高名な小説家の孫。いえ、お孫さま。おじいさまのお軽井沢の、お庭に生えていたおキノコをお一つ、お一つ、お足でお踏みつぶしながらお覚えになった、とおっしゃいました。「バカヤロー! どうせオレはビンボー人の小せがれだよ」

 そんな軽井沢でしたが、通ううちに魅力を感じるようになり、体調のことも考えてついに決心。マンションを購入し、軽井沢から東京のキー局に通う生活を始めました。当時住んでいた横浜と行ったり来たりする生活だったので、住民票も軽井沢に移しました。

 日本を代表する高級避暑地で生活を始めたざます。

(聞き手は西日本新聞・山上武雄)

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 海老原靖芳(えびはら・やすよし) 1953年1月生まれ。「ドリフ大爆笑」や「風雲たけし城」「コメディーお江戸でござる」など人気お笑いテレビ番組のコント台本を書いてきた放送作家。現在は故郷の長崎県佐世保市に戻り、子どもたちに落語を教える。

※記事・写真は2019年08月29日時点のものです

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