新たな拠点、軽井沢 気持ちいい環境なのに…どこか違和感が

西日本新聞

放送作家・海老原靖芳さん聞き書き連載(63)

 放送作家生活を20年以上続けて疲労がピークを迎えていた私は、心身の保養のために環境を変えようと、生活の拠点を軽井沢に置くことにしました。1999年12月のことです。

 放送作家は仕事場があるキー局に近い所に住むのが常識。以前暮らしていた横浜も東京から少し距離がありましたが、もっと遠くなります。

 台本を書いていた「ドリフ大爆笑」「お江戸でござる」「吉本新喜劇」などの仕事で東京や大阪に通うのは大丈夫かなと思いましたが、軽井沢から東京まで新幹線で約1時間。近いでしょう。吉本新喜劇がある大阪も日帰りが可能で、問題はありません。

 例えば毎週火曜の午前11時に始まる「お江戸でござる」の会議は、午前9時出発で間に合います。会議が終わると、書店や「デパ地下」で買い物をして、夜には自宅に戻れました。それぞれの仕事で評価をいただいていたので、遠くなっても大丈夫でした。とにもかくにも、ストレスを抱えたくなかったんです。笑いをつくるにも体が大事です。

 さて、軽井沢生活はというと、木漏れ日の道で散策ができ、温泉も近い。リゾートマンションに5年間住んだ後、一戸建てを購入しました。銀座のママでもある作詞家や、永ちゃん(永六輔さんじゃなくて、ロッカーです)の別荘が近くに点在する場所。早春は巣作りの相手を探す野鳥たちの求愛のさえずりで起こされ、リビングのソファからは季節の移ろいが見えました。

 気持ちいい環境なのに、妻から聞いた話では、鉢合わせしたベンツ同士の女性ドライバーが狭い道を譲らず、窓を開け「おどきになって」「そちらこそおどきになって」と応酬する人たちがいたそうです。コントみたいですが、安っぽい見えっ張りも多かったんですね。高名な女性エッセイストは雑誌で美しい軽井沢の暮らしをうたいながら、家の前に米国とメキシコ国境のような鉄条網を張っていました。

 周囲がうらやましがる軽井沢生活ですが、小さい頃から貧しい人たちと暮らしてきた私には、どこか、何かが違う心地でした。

 そして30年近く一緒に暮らしていた妻と、些細(ささい)なことでけんかをすることもありました。横浜時代には子どもが救いになっていましたが、一人娘は独立。そんなぎすぎすしていたわが家に「一人息子」がやってきたのは、2000年9月のことでした。

(聞き手は西日本新聞・山上武雄)

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 海老原靖芳(えびはら・やすよし) 1953年1月生まれ。「ドリフ大爆笑」や「風雲たけし城」「コメディーお江戸でござる」など人気お笑いテレビ番組のコント台本を書いてきた放送作家。現在は故郷の長崎県佐世保市に戻り、子どもたちに落語を教える。

※記事・写真は2019年08月30日時点のものです

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