「無罪で私は生き返る」 検証・大崎事件(25)

西日本新聞 社会面

 満期出所から5年。原口アヤ子さん(92)が悲願の再審請求を申し立てたのは1995年。67歳だった。間もなく支援団体が結成される。自宅がある鹿児島県大崎町から毎月、往復5時間かけて鹿児島市に通い、繁華街でマイクを握って冤罪(えんざい)を訴え、署名を集めた。

 「あたいは本当にやっちょらん。やっちょれば裁判(再審請求)なんか、しとらんとよなぁ」。通院や鹿児島市への送迎など2007年から支援してきた武田佐俊さん(76)は、車内で何度も思いを聞いた。

 世間の風は冷たかった。地元で署名集めをしていたアヤ子さんはある日、訪問先でこんな罵声を浴びたという。「あんたたちは何事か。警察のやることに間違いがあるか。帰れ」。それでも諦めなかった。02年、鹿児島地裁で初の再審開始決定が出た。満面の笑みの写真が残る。

 だが検察官抗告を受け、福岡高裁宮崎支部が再審開始を取り消す。第2次再審請求も退けられた後、第3次請求は地裁、高裁で開始決定が続いた。やはり検察官が抗告し、最高裁が昨年6月に取り消した。

 アヤ子さんを慕う80歳代の親戚の女性は、強いショックを受けた。「今度こそ今度こそ、と再審の扉が開くのを期待してきたのに…。アヤ子姉さんが気の毒でなりません。法律とか難しいことは分かりませんが、裁判って何だろうと思いますよ」と憤る。

 事件発生から40年。最初の再審請求から25年-。92歳の現在、認知症の症状が現れ、鹿児島県内の病院で入院生活を送る。

 「冤罪が晴れるまでは、あたいは晴れの場に出られん。集落の方々にも顔向けできんとよ」。14年まで続けた1人暮らしの頃、そう言い続け、親戚の祝い事や、集落の花見や祭りからも距離を置いた。

   ◇    ◇

 結婚、出産を経て司法試験に挑み、40歳で合格。主婦から弁護士になり、04年に弁護団に入ってアヤ子さんを精神的にも支える鴨志田祐美弁護士(57)には、忘れられない場面がある。13年、高裁宮崎支部で陳述したアヤ子さんは、最後に裁判長から「他に言っておきたいことはないですか」と促され、述べた。

 「私は無実です。私を無罪にしてください。今は死んでいるような気持ちですが、無罪で生き返ることができます」

 アヤ子さんの心の叫びだったと、鴨志田弁護士は今も思う。「彼女の人生の中で、失われた時間はあまりにも長い。検察官抗告さえなければ、再審公判は18年前に始まっていた。大崎事件の歴史の検証こそが、日本の再審法見直しの原動力になる日が必ず来ると信じています」

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