縁のない陸軍中将の位牌、なぜ民家に? 手掛かり求め山あいの集落へ

西日本新聞 一面社会面 久 知邦

 富山県出身の陸軍中将の名前が記された位牌(いはい)が、大分県日田市の民家で見つかった。住民と中将の間には縁もゆかりもないという。戦後75年を迎え、今や事情を知る親族もいない。なぜ中将の位牌が-。

 日田市の山間部にある小野地区。住民の井上利男さん(68)によると、数年前に仏壇を買い替えた際、位牌の裏に「陸軍中将長瀬武平」と書かれていることに気付いた。位牌は物心ついたときから仏壇にあったが、手に取って見たことはなかったという。表には「殉国之英霊」の文字。妻明美さん(64)は「戦争の犠牲者に違いない」と考え、親族ではないと知りつつも井上家の過去帳に「長瀬武平」の名を記し、先祖と同様に供養してきた。

井上利男さん宅にあった「殉国之英霊」と書かれた位牌。過去帳に長瀬武平陸軍中将の名を記していた=大分県日田市

 日本陸軍将官辞典によると長瀬は、終戦時の陸軍大臣・阿南惟幾と士官学校の同期生。満州事変や日中戦争(支那事変)に参戦した。1938年発行の雑誌「富山県人」では、<支那事変勃発するや部隊長として赫々(かっかく)たる戦績を挙げ、かつて熱河戦鬼連隊長の偉名に劣らざるの血勲を現はした>(原文ママ)と紹介されている。

 38年に中将に昇進し、福岡県久留米市の第12師団留守師団長を2年間務めた。予備役編入後、45年4月に対馬要塞(ようさい)司令官に就き、終戦を迎えている。

 戦史を調べる防衛研究所の担当者は「対馬で生きたまま終戦を迎えており、長瀬中将の位牌とは考えにくい。死んだ部下や遺族に向けて長瀬中将が書いたのではないか」とみる。ただ、井上家に戦死者はおらず、戦時中のことを話せる家族もいない。

「陸軍中将長瀬武平」と書かれた位牌を見ながら「なぜうちにあるのでしょうか」と話す井上明美さん(左)。隣は夫の利男さん

 謎を解く手掛かりを求めて山あいの集落を歩いた。 (久知邦)

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