砂川文次「臆病な都市」/松原俊太郎「ほんとうのこといって」

西日本新聞 文化面

 砂川文次「臆病な都市」(「群像」4月号)は「新型感染症」をめぐる物語である。だが今現在、世界中で猛威をふるっている新型コロナウイルスのことではない。中編と呼んでいい長さであるし、COVID19が顕在化するより以前から書き進められていたものと思われ、この符合はおそらく偶然だろう。それにしても、どうしたっていろいろと余計なことを考えてしまうタイミングではある。

 舞台は今から数年後、「K」は「首都庁」に勤める若手官僚だが、現実とは組織の名称などが変えられており、一種のパラレルワールドのようである。物語は「鳧(けり)」が媒介する新型感染症の発生が疑われるところから始まる。早々に専門家から事実無根の風説であることが示され、Kたち役人も最初はことを軽視しているのだが、市民からは不安の声が次々と挙がり、国と都の方針に反して或(あ)る自治体が独自の対策を打ち出したことから、行政も対処をせざるを得なくなる。その結果、存在しないはずの新型感染症が不気味なひとり歩きを始める。

 主人公の名前といい、官僚機構のナンセンスな駆動ぶりといい、現代版のカフカを志向した作品であることは間違いない。だが読み進んでゆくと、この小説が撃とうとしているのは、統治する側よりもむしろ「民意」の暴走であるらしいことがわかってくる。後半、状況はどんどんエスカレートしていき、ディストピア的な世界が現出する。私が考えてしまった「余計なこと」というのは、それが現在の状況を反転したネガのように見えてくるということである。この小説では存在しない病気が在ることになっていくのだが、この国では現在、明らかに存在している病気を見えにくくしようとするメカニズムが働いているように思われるからである。これは作者の意図したことではないかもしれないが。

 劇作家の松原俊太郎による文芸誌初小説「ほんとうのこといって」(同)を興奮しながら読んだ。松原は過去に「またのために」という短編小説を発表しているが、前作をアクロバティックな助走とすればこれは大胆不敵な跳躍である。「淀川河口付近の緑地の堤防」で「イヌ」が「発見」される。イヌというから犬だと思ってしまうが、イヌは年齢不詳の男性のヒトであり、駆けつけた警官の人差し指を嚼(か)みちぎって現行犯逮捕される。イヌは右目の視力がなく、左目もほとんど見えていないようだ。取調室で「私」がイヌから聞く長い長い身の上話(?)が、この小説の内容である。

 岸田國士戯曲賞の代表作「山山」にも顕著だが、松原は物語の結構よりも「台詞(せりふ)=声=言葉」の濃度と速度と強度において際立った才能を発揮する劇作家である。その天分は小説にも遺憾なく披露されており、とりわけ前半、イヌが異常に猜疑(さいぎ)心の強い恋人かさねとの顛末(てんまつ)を語るパートの壮絶にして切実な滑稽さには舌を巻いた。最後まで読んでも多くの謎や隙間が残されるが、そんなことは全然気にならない。こういうわけのわからない、だが凄(すさ)まじく面白い「小説」を、もっと読みたい。

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 さて、私が本欄を担当するのは今回が最後である。ちょうど丸五年間、私はこの時評を敢(あ)えて「文芸誌」の「小説」に対象をほぼ限定して執筆してきた。文芸時評にはいろいろなやり方があり得ると思うが、私が選んだのは、ある意味で最も狭いアプローチだった。なぜそうしたのかといえば、文芸誌(の小説)はなかなか読まれないからである。この選択にどれほどの効果があったかはわからないが、自分としてはこれでよかったと思っている。文芸時評を降りることにした理由は複数あるが、そのひとつは初めての小説「半睡」(「新潮」4月号)を発表したからである。さまざまなジャンルで長く批評をやってきたが、これをきっかけに私は今後、創作をしていくつもりでいる。つまり評する側から評される側になったのだ。だから文芸時評はひと区切りつけるべきだと考えたのである。

 ご愛読、ありがとうございました。

(佐々木敦 ささき・あつし=批評家)

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