平野啓一郎 「本心」 連載第199回 第八章 新しい友達

西日本新聞 文化面

 もし僕が、戯れに父という存在の空想を弄(もてあそ)ぶのではなく、真剣にそれが誰だったのかを突き止めようとするならば、手始めにまず確認すべきは、彼ではあるまいか?

 この憶測(おくそく)を、僕は不可避のものとして自らに課しつつ、それに囚(とら)われてしまわないように、抑制することに苦慮した。 

 もし、そうだったら、どうなのか?――わからなかった。喜怒哀楽といった、ハッキリとした感情は、何も湧いてこない。そのすべてが、よくわからない配合で混ぜ合わされているような気もする。

 少なくとも、“隠し子”である僕を、今日まで放置してきた事実については、知って幸福になるということもないだろう。それも、“心の持ちよう”などと諭されるだろうか?

 他方で、イフィーの家のリヴィングで、空き時間に、母の死後、今日までのことをこうして文章に書くようになってから、僕は、作家という職業について考えるようになった。

 自分にそんな才能があるとは、とても思えない。この文章にしても、誰かに読んでもらおうと思って、書いているわけではなかった。ただ、書くことが、孤独の慰めになっていることは事実だった。本当に、その底の底にいた時には、その気力さえなかったのだが。自分の気持ちを上手(うま)く言い表す表現を考えることは楽しい。そういう僕が、藤原亮治が、自分の父親かもしれないと夢想すること。……

 そして、母が安楽死を決意する上で、藤原の存在が大きく影響したのだとするならば、僕は彼を憎むべきではあるまいか? 僕の人生のたった一つの拠所(よりどころ)を奪ってしまったのだから。

 その関係を通じてか、それとも、思想を通じてか。――

 藤原亮治は、もう七十七歳で、誰もが知っている人気作家というにはほど遠く、その著作の多くは、今では電子本でだけ入手可能だった。どちらかというと、寡作の部類ではないかと思う。作風の幅は広いが、答えの出ないような、思想的な問いを含んだ主題を特徴としていて、比較的、短い作品が得意なようだった。三十四歳の時に芥川賞を受賞していて、五十代の始めから十五年間ほど、その選考委員を務めている。

平野氏のメッセージ

私たちの生を、さながら肯定する思想を考え続けています。主人公は、愛する母親を亡くしたあと、仮想現実によって再現された母親と生活することになります。その過程で見えてくる母の本心と、自分の心の変化が主題です。乞うご期待!

平野啓一郎(ひらの・けいいちろう)プロフィール

 1975年、愛知県蒲郡市生まれ、北九州市育ち。東京都在住。京都大在学中の99年、デビュー作「日蝕」で芥川賞。「ある男」(読売文学賞)など。「マチネの終わりに」(渡辺淳一文学賞)は福山雅治さん、石田ゆり子さん共演で映画化された。

マチネの終わりにの公式サイト

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