歩行ままならず…それでも東京から長崎の落語会へ 喜多八さんの覚悟

西日本新聞

放送作家・海老原靖芳さん聞き書き連載(89)

 がんを患いながらも2015年10月の「信州ずくだせ落語会」の高座に上がってくれた柳家喜多八さん。12月には「佐世保かっちぇて落語会」があり、そこで林家正蔵さんとの二人会が予定されていました。

 しかし「ずくだせ」で会った喜多八さんはすっかりやせ細り、つえがあっても歩行はままならない状態でした。関東ならまだしも、この体調で西の端まで来てもらうのは無理だろうと感じたので、開催の準備の合間に本人に電話したところ「行くよ、行くから」と返事。いつもは軽口をたたく喜多八さんですが、病気のしんどさからか、いらいらした口調でした。

 10月の「ずくだせ」で喜多八さんと共演した桃月庵白酒さんは、折に触れて東京での様子を知らせてくれました。「兄(あに)さんは声が出ていましたよ」「食欲がありましたよ。よく食べていました」と聞いてちょっと安心。「今日は妙齢の女性と一緒に楽屋入りしましたよ」とそっちの方も元気ですかと苦笑い。

 佐世保で共演する正蔵さんとも電話で話し合いました。「兄さんが佐世保に行くのはきついと思いますが、本人が行きたいならこれ以上は言えません」。やはり出る覚悟のようです。よし、私も覚悟を決めて受け入れの準備をしよう。

 東京から佐世保まで喜多八さんの介助が必要なので、正蔵さんと相談して、弟子で長男のたま平を付けてもらいました。それでもまだ不安だったので、東京にいる旧知のテレビスタッフに同行してくれるように頼みました。

 落語会当日。長崎空港の出口で待っていた私の前に喜多八さんは車椅子に座ったまま、たま平に押されて現れました。そこからは私が用意した車椅子に、たま平が抱きかかえて乗せ替えました。その車椅子は「かっちぇて」のファンである病院の職員から借りたものです。喜多八さんは「ずくだせ」で会った2カ月前よりもやつれていました。もう自力で立つことができません。

 私の車に乗せて佐世保に向かいました。ハンドルを握りバックミラーで後部座席を見ると、元々小柄な人ですが、さらに小さく映っていました。顔色も悪く、頰骨が浮かび上がって。高座に上がらなくてもいい。一席もやらなくていい。来てくれただけで、ただただありがたい-。

 でも、喜多八さんは気合が入っていました。「今日は二席やるからよ」 

(聞き手は西日本新聞・山上武雄)

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 海老原靖芳(えびはら・やすよし) 1953年1月生まれ。「ドリフ大爆笑」や「風雲たけし城」「コメディーお江戸でござる」など人気お笑いテレビ番組のコント台本を書いてきた放送作家。現在は故郷の長崎県佐世保市に戻り、子どもたちに落語を教える。

※記事・写真は2019年10月01日時点のものです

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