死期迫る柳家喜多八さん 客に悟らせない軽妙な話芸に身震い

西日本新聞

放送作家・海老原靖芳さん聞き書き連載(90)

 本土最西端の佐世保といえども、12月は日が暮れるのが早く、冷え込みます。2015年12月の「佐世保かっちぇて落語会」も寒い日でしたが、柳家喜多八師匠、林家正蔵師匠による二人会に会場は熱気に包まれました。

 大腸がんが進行し、歩くことができない喜多八さんは古典落語「うどん屋」を口演。やせ細った喜多八さんですが口だけは元気で、長崎空港から佐世保への道中に「二席やるからな」と息巻いていました。体調のことを考えて「兄(あに)さん、ここは一席だけに集中した方がいいよ」と正蔵さんが説得し、渋々納得してくれました。

 本番では正蔵さんの一席の後、いったん幕を下ろして喜多八さんを車椅子のまま高座下に運び、みんなで抱きかかえて座布団の上に。姿勢が決まったことを確認して幕を上げました。

 「うどん屋」は、大師匠の五代目小さん、師匠の小三治、そして弟子の喜多八へと柳家で代々受け継がれている伝統の噺(はなし)。それを選んだ心情、死期迫る中で全身全霊で語りながらも、それを客には悟らせずに軽く笑いを取る姿に目頭が熱くなりました。舞台袖で身震いするほどでした。オチと同時に幕を下ろし、中入り(休憩)にして座ったまま力尽きた喜多八さんを再び抱きかかえて車椅子に移し、楽屋に運びました。

 通常は落語会の最後に演者がフリートークを行うのですが、お客さまに「喜多八師匠は足を痛めていて」と断り、出番を遠慮してもらいました。それでも師匠は打ち上げに参加し、正蔵さんの襲名10年をケーキで祝いました。二人会を開くなど互いの実力を認め合った両師匠。10歳以上も若い正蔵さんは、真打ち昇進が喜多八さんよりも早いのですが、喜多八さんのことを「兄さん」と敬愛を込めて呼んでいました。

 翌日、私の車で長崎空港まで送り、正蔵さんの長男で弟子のたま平と私の友人である東京のテレビスタッフに介護を頼み、喜多八さんは機上の人に。スタッフからの連絡によると、羽田空港に正蔵さんの奥さんが車で迎えに来て、喜多八さんを自宅へ送ってくれたそうです。正蔵さんの心配りと力添えに感謝、感謝の公演でした。

 その後も喜多八さんは病魔と闘いながら、歩けない体で高座に上がっていると聞きうれしく思いました。しかし「いつかまた佐世保で」の願いは、かないませんでした。

(聞き手は西日本新聞・山上武雄)

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 海老原靖芳(えびはら・やすよし) 1953年1月生まれ。「ドリフ大爆笑」や「風雲たけし城」「コメディーお江戸でござる」など人気お笑いテレビ番組のコント台本を書いてきた放送作家。現在は故郷の長崎県佐世保市に戻り、子どもたちに落語を教える。

※記事・写真は2019年10月02日時点のものです

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