終戦から12年後の1957年、埼玉県の山本モジミさん宅を見知らぬ男性が…

西日本新聞 オピニオン面

 終戦から12年後の1957年、埼玉県の山本モジミさん宅を見知らぬ男性が訪れた。「私の記憶してきました山本幡男さんの遺書をお届けに参りました」。そう言って封書を差し出した

▼追って全国各地から「子供等へ」「妻よ!」と題した手紙が着く。シベリア抑留中の54年に病没した幡男さんの遺書を、無事に帰国できた仲間が書き留めて妻モジミさんに送ったのである

▼メモ類の持ち出しを禁じた収容所。見つかればスパイ行為として厳罰を受ける。4500字もあった遺書を6人の男たちが分担し、一字一句漏らさず記憶して持ち帰った。辺見じゅんさんの「収容所から来た遺書」で知られる

▼友情、使命感という語句では軽すぎよう。言葉の形容を超えた心の結び付きを感じる。極限の状況をひたむきに生きた人に対し、こちらのずさんさは腹立たしくもある。シベリアで収集した遺骨が日本人と無関係と報じられた問題で、有識者が先日報告書をまとめた

▼現地住民の曖昧な証言のみに頼った発掘が原因という。しかも数年前から骨の混入は指摘されながら放置されてきた。国の都合で異国で果てた人々に、国の対応は何といいかげんか

▼幡男さんは子どもたちに書き残した。「一日も早く帰国したいと思っていたが、到頭(とうとう)永久に別れねばならなくなったことは、何といっても残念だ」。最期の言葉も届けられなかった人たちが今も異郷に眠っている。

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