アイドル編<457>桑田靖子(下)

西日本新聞 夕刊 田代 俊一郎

 桑田靖子は1988年、所属事務所を離れた。歌手よりバラドルの仕事が軸になったことへの、自分なりに下した決断だった。言い換えればアイドルからの卒業である。5年間の活動の中で、シングルレコード11枚、オリジナルアルバム6枚を残した。独立した時、不安感よりも期待感が上回った。 

 「あまり、あれこれ考えていなかった。アイドルから離れ、もっとさまざまなジャンルの歌が歌えることにワクワクしていました」 ボイスレッスンを受けるためにニューヨークへ何度も渡った。アイドル時代にはできなかったライブも日本でスタートさせた。本名の「咲恵子」や「Sae」の名でも活動した。こういったことが桑田の語る「ワクワク」感の内実の一端だ。ただ、アルバムで見れば約20年の空白がある。その間の後半の10年近くは福岡県に帰郷し、地元テレビ局にリポーターとして出演したこともあった。 

 「13歳から離れた親との改めての日常は、喧嘩や他愛ない挨拶さえも、普通のことが新しい体験のようでした。帰れる場所があるということの幸せ。だからこそ、また外へ向かえるありがたさを感じた」 

 帰れる場所。それは故郷、そして歌だった。

   ×    × 

 2015年、アルバム「アナタノウタ」を発売した。作詞作曲は桑田自身だ。かつてのライブ仲間のギタリストで、音楽プロデューサーの古川ヒロシ(57)と東京都内の電車の中で、偶然に再会したのがきっかけだった。古川は音楽事務所も開いていた。「今、どうしている」から「うちでやらないか」へと進展した。ただ、古川は桑田にミッションを課した。 

 「今からはシンガー・ソングライターの時代だ。自分の歌は自分で作れ」 

 桑田は受け止めた。 

 「歳を重ねた今だからこそ、現在の桑田靖子を発信することも大切なんじゃないか」 

 「アナタノウタ」はこうして生まれた。現在も桑田は曲作りやライブ活動を続けている。一時期、二度と絶対に人前に出たり、歌ったりすることはないと思っていた。 

 「人生に絶対はないんですね。今、歌えることは当たり前ではなく、幸せなんです、と心から思います」 桑田はアイドル時代を否定はしない。むしろ、その時代の曲を「宝物」と語る。現在、桑田は「宝物」や自作曲を「ワタシノウタ」として慈しむように歌っている。  =敬称略 

  (田代俊一郎)

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