実の母は同居していた叔母 死期迫る父に抱いた疑念

西日本新聞

放送作家・海老原靖芳さん聞き書き連載(103)

 10月も半ばを過ぎ、ここ、佐世保もずいぶん涼しくなりました。思えばこの連載が始まったのは6月。それから4カ月、最終盤に入ってきました。この回を含め、あと3回。鬼籍に入った3人の親について話してもよかですか。

 もう一度整理しますね。私は父が55歳、母47歳の時の子です。ところが、産みの母は一緒に住んでいた母の妹である叔母でした。そういう複雑な事情の家庭に生まれたのです。

 私が30代半ばの時、父が倒れ、入院しました。ちょうど東京のキー局の放送作家として脂が乗っていた頃でした。経済的にも楽になり、父を個室病棟に。多忙でしたが、時間を見つけては佐世保へ見舞いに行きました。死期が近いのは分かりました。意識はほとんどありませんが、ずっと、うわごとを言うのです。

 「やすよしは、かわいそかー」「やすよしは、かわいそかー」

 うわごとはだんだん節が付いて「やすよしは、♪かわいそか~」とリズミカルに歌っていました。これぞ、悲しいけど、笑ってしまいました、です。

 それにしても一体何がかわいそうなのか。考えてみました。6畳一間の貧乏な家庭に生まれてしまって、かわいそか? 叔母が産みの母という複雑な家庭に生まれて、かわいそか? 父は、後ろめたさがあったのでしょうか。自責の念に駆られていたのでしょうか。

 1989年に父は亡くなり、母も後を追うように翌年に他界。叔母も帰らぬ人になりました。3人とも老衰です。20代の頃、私は母に「あんたは八重子(叔母)の子たい」と告白されましたが、その事実を生前、父から聞くことは、ついにありませんでした。

 私にとって、母はあくまでも母でした。産みの母ではなかったですが、本気で叱ってくれました。今ならDVだと言われるかもしれませんが、悪さをすると、竹の長い物差しでパシン、パシン。この子はわが息子だ、大事に真剣に育てたい-。あの姿に愛を感じました。

 父は私に手を上げたことがありません。いつも優しくされました。もしかしたら、自分の不貞が後ろめたいから、優しくしていただけではないか。

 そんな疑いを持ちながら時は過ぎ、6年前のことでした。本を執筆した際、参考に古いアルバムをめくりました。私の3歳の節句で撮った写真の裏を見たときに、疑念が氷解しました。

(聞き手は西日本新聞・山上武雄)

………………

 海老原靖芳(えびはら・やすよし) 1953年1月生まれ。「ドリフ大爆笑」や「風雲たけし城」「コメディーお江戸でござる」など人気お笑いテレビ番組のコント台本を書いてきた放送作家。現在は故郷の長崎県佐世保市に戻り、子どもたちに落語を教える。

※記事・写真は2019年10月18日時点のものです

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