「巨悪は眠らせない」 水江浩文

西日本新聞 オピニオン面 水江 浩文

 検事総長は、年齢が65年に達した時に、その他の検察官は年齢が63年に達した時に退官する(検察庁法第22条)。

   ◇    ◇ 

 「巨悪は眠らせない」とは、伊藤栄樹(しげき)さん(1925~88)の名言である。検事総長まで上り詰め、「ミスター検察」とも呼ばれた。

 この名言の背景に、第一線の検事時代に担当した事件の苦い経験があることはよく知られている。54年の造船疑獄だ。検察が佐藤栄作自由党幹事長の逮捕請求を決めたのに、吉田茂首相の意を受けた犬養健法相の指揮権発動で捜査は打ち切られた。

 もし、泉下の「ミスター検察」が今、この問題を知ったら何と言うだろうか。黒川弘務東京高検検事長の定年延長問題のことだ。

 検察庁法は検事総長と検察官の定年を規定している。ところが、安倍晋三内閣は黒川氏の退官直前だった1月末に国家公務員法を適用して黒川氏の定年を半年延長すると閣議決定した。

 唐突で前代未聞の定年延長は現検事総長の勇退時期を見込んで首相官邸の信任が厚い黒川氏を次の検事総長に据えるための布石ではないか、と野党は追及している。

 過去の国会答弁との整合性を問われた人事院の局長が「つい言い間違えた」と開き直ったかと思えば、定年延長の理由を説明する中で法相が「東日本大震災で検察官は最初に逃げた」と答弁し、撤回と謝罪に追い込まれた。

 法解釈の変更を巡って政府側が示した文書に日付が入っていないことが判明すると、文書でなく口頭で決裁していた-という驚くべき経緯まで明らかになった。

 あったことをなかったと取り繕っているのか。なかったことをあったかのように振る舞っているのか。はたまた、その両方なのか。

 一連の騒動と混乱の中で、かすかな光明を感じる場面もあった。全国の検察トップが集まって2月に法務省で開かれた検察長官会同。一人の検事正が「定年延長について伺いたい」と挙手した。「検察は不偏不党でやってきた。このままでは検察への信頼が疑われる。国民にもっと説明を」と提起したという。こういう検事正がいることに私は胸をなで下ろした。

   ◇    ◇ 

 「巨悪…」という伊藤さんの名言には続きがある。「被害者と共に泣け」「国民にうそをつくな」という教えだ。後輩の検事たちにも訓示していたと聞く。今なお通用する名言であり、教訓であるとつくづく思う。

 (論説副委員長)

PR

社説・コラム アクセスランキング

PR

注目のテーマ