新人研修で話すなら 久保田正広

西日本新聞 オピニオン面 久保田 正広

 4月になると、本棚から昔読んだ本を取り出すことが増える。記者教育を担当していた頃からの習慣だ。新人研修で使える、ちょっと気の利いた話はないか。ついそんなことを思ってしまう。

 もう担当ではないのだが、きょう入社する後輩諸君に贈る言葉を考えてみた。

 研修中の新人から多い質問に「何年がんばれば、やりがいを感じられますか?」がある。「とりあえずは3年だ」と答えてきたが、実に悩ましい。現場に出てすぐに感じる若手もいれば、何年たってもどうかという人もいる。

 若い社員がなかなか定着しない。多くの業界に共通の問題だ。仕事とやりがい。その関係を探る上で手掛かりになる本を、他紙の読書欄を見ていて思い出した。

 評論家福田恒存(つねあり)の「人間・この劇的なるもの」。ある研究者が、高校の模擬試験でこの本が出題され、文章に感動して解答どころでなくなり、早速、福田の著作を求め書店に走った、と書いていた。

 初版から60年以上になる本だ。この研究者がどの部分に感動したかは不明だが、私には以下のくだりが印象深い。少し長いが紹介する。

 「私たちが欲するのは、事が起こるべくして起こっているということだ。そして、そのなかに登場して一定の役割をつとめ、なさねばならぬことをしているという実感だ。なにをしてもよく、なんでもできる状態など、私たちは欲してはいない。ある役を演じなければならず、その役を投げれば、他に支障が生じ、時間が停滞する-ほしいのは、そういう実感だ」

 「生きがいとは、必然性のうちに生きているという実感から生じる」

 「生きがい」を「仕事のやりがい」と読み替えたい。

 ある仕事をするとして、その理由が会社の指示や給料のためではなく、まるで自分の人生の脚本に書かれているかのごとく当然と感じることができるか。この「劇的」な感覚を、一度でも味わうことができれば、その仕事は長く続けられるのではないか。

 新聞記者も同じだ。この事件、この人、この出来事を取材するのは、自分をおいて他ない。そう「錯覚」できるほど仕事に「はまる」ことができれば、しめたものだ。

 ではどうすれば、その劇的な錯覚ができるのか。ここで再び答えに困ってしまう。

 でも記者は恵まれている。他人が主役のニュース・人間ドラマを取材できる。新人諸君、劇的な世の流れを追いながら自分の中の「劇的」変化を待つことだ。幕開けは必ずくる。 (論説副委員長)

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