引き揚げ港・博多の苦難 継承の場限られ、進む風化

西日本新聞 一面 阪口 彩子

 「博多港への引き揚げの正しい史実が伝わっておらず、闇に消えようとしている」。元福岡市職員の堀田広治さん(82)は戦後75年の今、無力感にさいなまれている。終戦直後、国内最大級の引き揚げ港として約139万人を受け入れた博多港。堀田さんは1992年から引き揚げの史実を後世に伝える活動を続けるが、資料館の建設は実現していない。戦争の記憶をいかに継承していくか、自治体間で温度差も浮かぶ。

 45年の終戦時、中国や朝鮮半島などに取り残された日本人は約660万人。政府は全国18の受け入れ港を指定した。博多港もその一つ。引き揚げる途中で倒れた人は少なくない。多くの人々が辛酸をなめた。

 3月24日、市民団体「引揚げ港・博多を考える集い」の世話人会が福岡市内で開かれた。堀田さんら参加者9人のうち、8人は引き揚げ者で、高齢だ。「語り部はいなくなっていく」「もう20年以上やってるが、全く手応えがない」といった声が出た。

 堀田さんらは引き揚げに関する資料館建設を市に求めてきた。市も資料約2600点を収集したが、有識者でつくる市の検討委員会は2000年、「単独で資料館を設置、運営することは難しい」と結論付けた。

 市が集めた資料のうち防寒帽やトランクなど約190点は、11年に市民福祉プラザ(市中央区荒戸)の一角での展示が始まった。展示品は一度も入れ替えられることなく、他の資料は日の目を見ないまま。市は今後、展示のあり方を再考し、活性化を図るとしているが、スペースの拡充は考えていないという。

 堀田さんは市職員時代、引き揚げ船の船長だった男性と交流があったという。「他の引き揚げ港に比べ、展示の規模が小さすぎる」との思いがある。

資料館整備の自治体も

 戦争遺構の保存や戦争体験の継承を巡っては、各自治体の財政事情や首長の姿勢などによって対応が分かれる。戦後75年を経て、新たに生まれる施設もある。

 北九州市は22年開館を目指し、平和資料館(仮称)の開設準備を進めている。これまでは市施設の一角に資料約190点を並べていた。市の担当者は「風化を防ぎ、地元の子どもたちに平和の大切さを考えてもらう場所にしていく」。

 24年前から活動する「北九州平和資料館をつくる会」の小野逸郎さん(85)は「公的な資料館で過去の戦争を正しく記録し伝えないと、体験者がいなくなったとき、歴史上の出来事がなかったことにされる可能性がある」とし、資料館建設は「一歩前進」と話す。

 福岡市と同じく、引き揚げ港となった長崎県佐世保市。86年に市が開館した浦頭(うらがしら)引揚記念資料館は、戦後70年を機に増築し、資料や写真の展示を増やした。

 父が陸軍兵士で佐世保への引き揚げ者だったという田畑美恵子さん(75)は「父から当時のことを聞いておけばよかった。引き揚げ途中でつらい体験をした人や行くあてもなく亡くなった人、孤児になった人もいる。何があったのかを伝えるのは、当たり前のことです」と語った。 (阪口彩子)

福岡県の天気予報

PR

福岡 アクセスランキング

PR

注目のテーマ