【新型コロナと国家】 姜尚中さん

西日本新聞 オピニオン面

◆「忖度政治」に決別図れ

 今、世界は第2次世界大戦以来の破綻の淵に立っている。そう言っても大げさではないのは、新型コロナウイルスの世界的流行(パンデミック)は、約90年前の世界恐慌にも匹敵する不況をもたらしかねないからだ。

 先の大戦の遠因になった大恐慌に直面した際、世界の主要国は三つの選択肢から一つを選んだ。日独伊はファシズム的な体制、旧ソ連はスターリン主義的な計画経済の道、米国はルーズベルト大統領のもとニューディール型の資本主義体制を取った。

 体制やイデオロギーの違いこそあれ、どの選択肢も19世紀後半以来の自由主義的な「自己調整型」市場経済の崩壊から立ち現れてきた、国家主導型の経済再生という点では共通していた。ハンガリーの経済学者カール・ポランニーは1944年に著書「大転換」で、既にその構図を見抜いていた。

 言うまでもないことだが、ファシズムは敗戦で消滅し、計画経済の道はソ連邦の消滅で潰(つい)え去ったかに見えるが、中国の中に「社会主義的市場経済」という形でスターリンの亡霊は生き続けている。資本主義経済体制は戦後の西側諸国のモデルとなったが、80年代以降、市場を万能とする新自由主義経済が台頭するとお蔵入りとなった。

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 そして冷戦の終焉(しゅうえん)からほぼ30年になる今、コロナ・ショックによる大恐慌の予感の中、最後の望みが国家の強化とその役割の拡大に託されようとしている。ウイルスの拡散を抑え込み、その間「生存経済」が枯死しないよう「血液」である現金や信用を供給し、生命と財産を死守する最も頼りがいのあるよりどころ-それは国家以外にはないことが明らかになりつつある。

 英国のサッチャーや米国のレーガンの登場以来、世界を席巻してきたのは「自由化」「民営化」という名の市場化であった。市場は地球を覆う「匿名の神」として君臨し、「見える手」であった国家の役割は減退した。公的な領域は限りなく収縮して、全てが自己責任に基づく市場経済のメカニズムに委ねられてきたのである。この40年間に進んだのは、既に70年以上前にポランニーが批判した「自己調整型」市場経済のグローバル化であった。しかし今、市場万能主義は無力であり、人々の生存すら保証できないことが露呈した。

 ではどんな国家が望ましいのか。かつてのファシズムやスターリン主義的な国家のように社会の一切の制約から解き放たれて専横的に振る舞う国家か。それとも非常事態を解決するため例外的に委任された独裁的な権限を行使しても、常に「強い社会」の側から規範や制度に足かせをはめられている国家か。大きく言えばこの二者択一が迫られている。

 さしずめ中国は前者のケースで、後者の典型としてドイツが挙げられるだろう。今後ウイルスの拡散を抑え込み、経済を立て直すことができるとしても、二つの国家の類型は、新型ウイルス以後の時代の政治や社会、文化や意識のあり方まで規定するに違いない。

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 そして日本はどうか? 国家を担うパワーエリートが自らの出処進退、責任を懸けて強制力を伴う非常権限を行使することに尻込みし、他方で「お願い」「要請」という形での「忖度(そんたく)政治」を押し付けている。あいまいな対応を見るにつけ、無責任体制のまま、事態がずるずるとより深刻化していくことにならないか、懸念は尽きない。

 今必要なのはドイツに見られるような「強い国家」と「強い社会」の組み合わせであり、あいまいな「忖度政治」からの決別である。

 【略歴】1950年、熊本市生まれ。早稲田大大学院博士課程修了後、ドイツ留学。国際基督教大准教授、東大大学院情報学環教授、聖学院大学長など歴任。2018年4月から鎮西学院院長。専攻は政治学、政治思想史。最新刊は「母の教え」。

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