アイドル編<458>少女歌劇団

西日本新聞 夕刊 田代 俊一郎

 現在のアイドル歌謡の裾野はご当地アイドルと呼ばれるように各地に広がっている。多くはグループでの活動だ。福岡市でその元祖的な存在は「博多パラダイス少女歌劇団」である。 

 レジャー施設の博多パラダイスは1964年、博多区築港に開業した、博多ポートタワーをメインに温泉、遊園地などを併設していた。その専属バンドが少女歌劇団だった。1期生は25人。当時、22歳で最年長だった福岡市の貝島君子は語る。 

 「寮生活を送りながら毎日、日舞や洋舞、楽器、歌を練習しました」 

 歌劇団の特徴の一つは全員が楽器を演奏するビッグバンドでもあった。貝島は楽器としてトロンボーンを選択した。 

 温泉施設3階に大広間のステージがあった。ここでのライブが中心だった。現在、ライブを中心に活動するアイドルを「地下アイドル」とも形容するが、歌劇団の活動は地上の、健康的な世界だった。博多どんたく港まつりなどさまざまなイベントにも参加した。貝島が「ファンレターもいただきました」と語るように、まさに地元アイドルでもあった。 

   ×    × 

 歌劇団のメンバーは若く、音楽の基礎を学んでいた。当然、その中から歌謡界への転身者も生まれた。草香セツコは歌劇団関係者から勧められて、テレビのオーディション番組に出場して勝ち抜いた。 

 「(歌劇団で)ステージ慣れしていたことが評価されたのでしょう」 

 69年に「泣き虫さくらんぼ」(作詞山口あかり、作曲小杉仁三)でシングルデビューした。別の芸名である浅ゆきでは71年に「あとはごめんなさい」(作詞阿久悠、作曲中村泰士)を発売している。あいはら美実は歌劇団を退団後、地元の高級クラブの専属歌手として歌っていた時にスカウトされた。72年に「開店通知」(作詞永井ひろし、作曲遠藤実)でデビューした。あいはらは「歌劇団で学んだことが認められた、と思います」と回想した。 

 歌劇団は69年に解散、5年間の活動だった。福岡の音楽史の中で歌劇団についてはあまり、触れられることはない。貝島たちは毎年、同窓会を開いて当時の舞台、そしてその後の人生について語り合っている。

  =敬称略 

  (田代俊一郎)

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