なぜ「いけにえの羊」に 今も40年前の悪夢にうなされ

西日本新聞 国際面 池田 郷

韓国葛藤 光州事件40年(2)

 「民主政府樹立を」。タクシーとバスの車列が先頭を進み、戒厳軍の発砲からデモ隊を守る盾になった。1980年5月、韓国光州市。初めは学生ら約600人だったデモ参加者は、戒厳軍の見境ない暴力に怒りを覚えた市民が続々と加わり、鎮圧されるまでの10日間に全羅南道全体で最大20万人に達したとされる。

 光州事件当時、朱玉(チュ・オク)さん(59)=自営業=は父が営む食堂で連日、大量のおにぎりを握り、デモの参加者に手渡した。「皆さん、生きて帰ってきて」。おなかには赤ん坊がいたが、命がけで“前線”へ向かう人々を放っておけなかった。

 朱さんがおにぎりを運んだアルマイト製のたらいが光州事件の関連資料を集めた市内の記録館に展示されている。館内には病院で列を作る女性らのパネル写真もある。負傷者の急増で輸血用の血液が底を突き、献血を申し出た人々だ。

 「血を分けた共同体」。パネルにはこんな説明文が添えられている。

慶尚道優遇へ怒り

 市民を駆り立てたのは、戒厳軍への怒りだけではなかった。複雑な地域感情も絡んでいた。光州市などの全羅道と、戒厳軍を投入した全斗煥(チョン・ドゥファン)元大統領(89)の出身地である慶尚道の確執だ。

 源流は軍事独裁体制を敷いた朴正熙(パク・チョンヒ)政権にあった。慶尚道出身の朴氏は政府や軍の人事で慶尚道人脈を重用した。全羅道はその後の保守政権下でも長く冷遇され、経済開発や交通網整備が遅れた。ソウルと慶尚道の釜山を結ぶ高速鉄道開通は2004年。ソウル-光州間はその11年後だった。

 地域間の対立感情は投票行動にも色濃く反映される。全羅道出身で革新系の金大中(キム・デジュン)氏が当選した97年の大統領選で、金氏の光州市での得票率は97・3%。一方、慶尚道の大邱市では12・5%にとどまった。

 韓国では15日投開票の総選挙へ向け選挙運動の真っ最中。朱さんは「光州で保守政党を支持する人に会ったことがない」と話す。

最後の悲痛な叫び

 事件の最後の日。デモ隊が立てこもった全羅南道庁舎は未明のうちに戒厳軍に包囲された。「市民の皆さん、愛する兄弟姉妹が軍の銃刀の前に倒れています。最後まで闘いましょう」。1階の放送室にいた当時大学生の朴永順(パク・ヨンスン)さん(61)の悲痛な叫びが、屋上のスピーカーから響き渡った。

 直後、庁舎の電源が全て落ちた。銃声とともに軍がなだれ込み、デモ隊は鎮圧された。内乱罪などで逮捕された朴さんは、厳しい取り調べを受け、執行猶予判決を受けた。

 結婚後の90年代、夫の赴任に伴い慶尚道で暮らした。そこでは事件は「暴動」と見なされ、光州出身者へ向けられる視線は冷ややかだった。その頃、事件を特集した雑誌に朴さんの証言と顔写真が載った。「パルゲンイ(アカ)」。韓国で共産主義者を侮辱する言葉でののしられた。一時は偽名を使って生活した。

 事件について、どうしても解せないことがある。当時、民主化を求めるデモは全国各地で起きた。なぜ軍は光州市民にだけ無差別に発砲したのか。「光州はいけにえの羊にされた」。今も40年前の悪夢にうなされ、睡眠薬が手放せない。

(ソウル池田郷)

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