ネムノキに託した愛情 田代芳樹

西日本新聞 オピニオン面 田代 芳樹

 その女性は記者会見で怒りの表情を浮かべ、思いを吐き出した。

 「こんなに天井が低く暗い場所で、子どもたちが全身全霊を込めた作品を展示することはできません」

 新人記者だった三十数年前、福岡市のデパートであった養護施設「ねむの木学園」入所者の作品展を取材したときのことだ。いきなりの中止宣言をしたのは、先日亡くなった宮城まり子さんである。

 右往左往するデパート関係者を横目に、他社の女性記者が「宮城さんのお気持ちは分かります。でも多くの人が子どもたちの絵を早く見たいと待っています」と、その場をとりなした。

 肢体不自由の子どもたちのために私財を投じて学園を設立した宮城さん。会見からは「作品を大切に扱ってほしい」という子どもたちへの強く、深い愛情が感じられた。

 会場には独創的で力強い作品が並び、圧倒された。「音楽や絵画を通して、子どもたちの感性を引き出す」。宮城さんの言葉は今も心に残っている。

 取材には、自ら手を挙げて出向いた。宮城さんと同世代だった父親から、障害のある子どもたちの教育や福祉活動に力を尽くしていることを聞かされていたからだ。

 歌手、俳優として活躍していた宮城さんは1957年、雑誌の取材を通じて障害児のことを知り、60年に脳性まひの子どもの役を演じたのを機に施設建設を決意する。

 当時は障害者に対する学校教育の場が十分に保障されていなかった。

 79年に養護学校が義務化されるまで、重度の障害児は就学免除、就学猶予の措置が取られ、学校で学ぶことさえできなかった。

 すべての子どもには「学ぶ権利があり、義務がある」。その強い思いが宮城さんを突き動かした。

 資金面の問題もあり建設は難航するが、静岡県浜岡町(現御前崎市)の海が見える小高い丘に土地を確保し3年後の68年に完成、開園にこぎ着けた。

 その丘には大きなネムノキがあり、ピンクの花が咲いていたという。その後、同県掛川市に施設を移し、美術館や成人向けの身体障害者療護施設なども併設した「ねむの木村」を開設した。

 学園のホームページには自筆の書が掲載されている。

 「やさしくね、やさしくね、やさしいことはつよいのよ」

 いま社会には、不寛容な雰囲気が広がっている。宮城さんが実践し、残した言葉を改めてかみしめたい。

 (クロスメディア報道部)

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