志村けんさん、震えるほどの演技だった 放送作家・内村宏幸さん語る

西日本新聞 文化面

 「志村けん」が、もういない。

 どうやら、もうバカ殿はキレて扇子を落とさないし、変なオジサンも出没しないし、ひとみ婆(ばあ)さんがマッサージしにやって来ることもない、らしい。

 でも、いまだに現実味がない。

 「志村けん」という名前を認識したのは小学生の時。あの頃、土曜の夜8時にテレビの前にいないというのはありえない事だった。まだ録画機もない時代、8時までに、ごはんとお風呂を済ませてテレビの前に座り、画面の中の志村けんを見て、腹を抱えて笑った。

 それから月日は流れ、僕は自分でも予期していなかった放送作家という肩書になり、そして、NHKの「となりのシムラ」という番組で、とうとう、志村けんさんと仕事をする事になった。

 初対面の日、打ち合わせ場所を訪ねると、志村さんは、あらかじめ渡しておいたコント台本を、難しい顔つきで、黙々とめくっていた。僕は、わずか1メートル先にいるその人の姿に釘(くぎ)付けになり、心の中で「志村けんがいる」と何度かつぶやいた。

 志村さんの仕事の仕方を間近で見られるのは、この上なく贅沢(ぜいたく)な時間だった。

 この「となりのシムラ」は、当初、志村さんが“志村けん本人”を演じる設定で行きたいと制作サイドがご本人に提案したが、素の自分を見せる事だけは頑(かたく)なに拒まれた。

 撮影スタイルにおいても、志村さんから「本番は1回だけね」という難しい条件が出た。それは、ロケ中心のこの番組ではほぼ不可能なため、何とか監督が粘り強く交渉し、「2回までなら」という事になった。そのせいか、撮影現場は、常にいい緊張状態が保たれていた。

 アドリブというのは驚くほど少なかったが、娘が結婚相手を連れて来るというコントで、緊張してなかなか現れない父親を娘が強引に連れて来るという場面、志村さんは、まず彼氏の隣に座って見せた。これは完全にアドリブなのだが、父親の狼狽(ろうばい)ぶりがよく表れていて、台本にはまず書けないと感服した。

 おそらく、台本を納得いくまで読み込んで、その役を完璧に自分のものにして本番に臨んでいるのだろう。撮影現場で、志村さんが台本を開いているのを、まず見たことがなかった。コントに向き合う姿勢の次元の違いを何度も見せつけられた。

 ずっと観察していて、改めて気づいたのは、その超が付くほどの高い演技力だ。コントのキャラクターばかりに目が行きがちだが、シリアスな演技は、俳優の中に混じっても群を抜くレベルだと思う。

 たとえば、普段は家族に邪魔扱いされているが、実は、もの凄(すご)く愛されているのを知った時の表情などは、震えが来るほど上手(うま)い。

 どこにでもいるオジサンを描いた「となりのシムラ」は、シリーズ6まで続いた。まだまだ新しいシリーズもやりたかった、のに。

 志村さん、あなたのコントを見て育った人はたくさんいるけれど、自分が書いたセリフを、あの志村けんが、熟読して本気で演じてくれる。こんな経験をした者はそうはいない。この先も僕は、その事を誇りに生きていけます。もう、一生コントを書き続けます!

 数え切れないほど笑わせてもらいました。本当にありがとうございました。願わくば、東京オリンピックの開会式に乱入する「変なオジサン」を見たかった。

(うちむら・ひろゆき=放送作家、1962年、熊本県人吉市生まれ)

 ◇コメディアン、志村けんさんは3月29日、70歳で死去。

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