伝染病の流行は私たちの社会になにを残すのか?世界の歴史から考える

西日本新聞

 歴史が動く要因は実にさまざまである。戦争をはじめとして人間が引き起こす事件はもちろんのこと、有史以前から地震や火山の噴火など自然災害は大きな影響をおよぼしてきた。そして忘れてはいけないのが、人間の生命とその社会の存続を危うくする疫病、現代の言葉で表すなら、感染症である。アステカとインカの文明を葬り去った天然痘や、中世ヨーロッパ社会を恐怖に陥れた黒死病(ペスト)のように、感染症の流行がいく度にもわたって歴史を大きく動かしてきたのである。

 本書は歴史学の泰斗であるマクニールが1976年に著した歴史書の翻訳で、紀元前500年の疫病から、20世紀のインフルエンザやラッサ熱、さらに新しく加筆された序文に記されたHIVまで、感染症と人類との世界史を紐解いている。そうすることで感染症の伝播が人間世界に与えた影響を描き出し、感染症を歴史学研究の俎上に載せる試みをしているのだ。

 上に書いたアステカ帝国やインカ帝国の衰亡は、教科書的な歴史学ではスペインからの征服者(コンキスタドレス)によってもたらされたと習う。しかし、コルテスやピサロに率いられた征服者たちが、なぜ優れた文明を持つ帝国を滅亡にまで追いやることができたのか。この疑問に対して、マクニールの視線は感染症の流行に向けられる。1518年、カリブ海に浮かぶイスパニョーラ島のインディオたちが、ユーラシアから運ばれた天然痘に感染する。この地域の住民たちには免疫がなかった感染症だったので、その流行は瞬く間にアステカ帝国から、さらに南のインカ帝国へと広がっていった。1521年にアステカ帝国、1533年にインカ帝国が滅亡するが、それは武力によってもたらされただけではなく、背後に感染症による人口減、国力の衰退があったというのである。

 取り上げられるのは天然痘や黒死病だけではなく、マラリア、黄熱病、チフス、コレラなど、人類を悩ませてきたさまざまな感染症である。こうした感染症が、どこからどこへ伝播し、その地域・社会にどのような変化をもたらしたか、丹念に史実やデータを積み上げていく記述と分析は、歴史学だけではなく地理学的な興味も刺激してくれる。いかに文明が進歩しようとも、人間が逃れることができない「病と社会」の諸課題に多くの示唆を与えてくれる名著である。

 

出版社:中央公論新社
書名:疫病と世界史(上・下)
著者名:ウィリアム・H・マクニール 著 佐々木昭夫 訳
定価(税込):各1320円
税別価格:各1200円
リンク先:http://www.chuko.co.jp/bunko/2007/12/204954.html

西日本新聞 読書案内編集部

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