手洗いに命を懸けて

西日本新聞 オピニオン面 上別府 保慶

 新型コロナウイルスの感染を防ぐには、とにかく手洗いの励行だ。

 実はこの手洗い、衛生の基本として欧州で普及し始めたのは、それほど古い話ではない。細菌学が進歩を遂げた、日本でいえば明治のことだった。幕末に来日した医師のシーボルトも、手を洗わずに手術をしたというから、たとえ時間旅行ができても当時の医師にはかかりたくないものだ。

 19世紀半ば、この手洗いが重要なことを初めて唱えたのは、ゼンメルワイスというハンガリー人の医師だった。彼はウィーンの産科病院に勤務していた時、出産後の女性たちが「産褥熱(さんじょくねつ)」という病気に次々にかかり、赤ん坊を残したまま死ぬのに衝撃を受けた。

 この病院には二つの産科があった。医師が多くいる第1産科では死亡率が約10%だったのに対し、助産婦の養成を目的とする第2産科の死亡率は4%未満にとどまった。うわさは外にも広まり、入院した女性たちは医師の足にすがりついて第1産科には回さないでと必死に訴えたという。

 ゼンメルワイスは二つの産科施設の違いを、さまざまな角度から比べた。そして第1産科の医師たちが死者を解剖して原因を調べる際に、手に何らかの病毒が付き、それが産褥熱を媒介すると考えたのだ。

 ゼンメルワイスは解剖の後にせっけんの手洗いを励行し、においを取るため塩素水に手を浸し、爪切りも入念にして問題を解決した。それはウイルスどころか細菌の知識もない時代に大変な先見の明だった。

 ところが当時は、医者の手が病気をうつすという考え方は危険視された。19世紀までの欧州の外科医は、手術の血が赤くこびり付いたままの革製エプロンを着けることを、職能の誇りとしていたほどなのだ。

 ゼンメルワイスは学会から排斥され、過度の飲酒などで心を病んだと診断されて、精神療養所に閉じ込められた。そして脱出を試みて衛兵から受けた暴行などがもとで1865年に死亡。フランスの細菌学者パスツールが学会でゼンメルワイスの功績をたたえたのは没後24年のことだった。

 以上は「医師ゼンメルワイスの悲劇」(南和嘉男著、講談社)などから。

 今は幼児もごく当たり前にするせっけんの手洗い。界面活性剤が主成分のせっけんに、細菌やウイルスを殺す作用はないが、洗い落とすことで物理的に除去することが分かっている。せっけんは古代ローマ時代から、ゲルマン人とガリア人が使ったとの記述がプリニウスの「博物誌」にある。

 日本には九州から入った。1596年、石田三成が博多の豪商の神屋宗湛(かみやそうたん)から「シャボン」を贈られ、礼状を書いたのが最初の例という。 (特別編集委員・上別府保慶)

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