平野啓一郎 「本心」 連載第212回 第八章 新しい友達

西日本新聞 文化面

 三好は、酔って転げ落ちないだろうかと、後ろから冷や冷やしながらついていったが、意外に足許(あしもと)はしっかりしていた。

「うわぁー、カッコいい!」

 購入時から、内装はほとんど手を加えていないという一階と違って、二階は黒一色だった。

 廊下は黒い板張りで、壁紙も光沢のない無地の黒だった。間接照明で、天井が明るくなっている。

「何もない状態からアイディアを生み出したいんです。そこに、自分で集めてきた物とか、アイディアとかを並べていくんですが。宇宙だって、黒でしょう、基本は。――でも、暗い人だと思われますよね、こんな部屋。だから、人にはあまり見せないんです。朔也(さくや)さんにも、気味悪がられるかなと思って。」

 壁には、イフィーが描いたデザインの原画や、猛スピードで空を飛んでいる人が、その最中に撮影したらしい写真、仮想空間内の緑と高層ビルが入り組んだ巨大都市の絵など、様々な額が掛かっている。

「これは? 誰の絵?」

「白髪一雄(しらがかずお)っていう日本人の“具体”の画家です。天井からぶら下がってるロープに掴(つか)まって、足で描いてるんです。すごいですよね。大好きなんです、僕。」

「足で描いてるんだ? それで。……ほんとに、すごく躍動感のある、エネルギーのある絵ね。」

 三好は、顔が触れそうなほどに画面に近づいて、僕はハラハラしたが、イフィーは、衒(てら)いのない、率直な感動を露(あら)わにした彼女の横顔に、意外にも心惹(こころひ)かれた様子だった。後でこの絵の値段を知って、僕はまた肝を潰(つぶ)したのだったが。

 三好の笑顔と同様に、そのイフィーの面差しも、僕がこれまで一度も見たことがない、特別なものに感じられた。

「写真、撮ってもいい?」

「もちろん。でも、写真じゃ、このマチエールの感じは伝わらないですよね。気に入ったなら、またいつでも、見に来てください。」

「本当に? いいの?」

「もちろん、いつでも歓迎します!」

平野氏のメッセージ

私たちの生を、さながら肯定する思想を考え続けています。主人公は、愛する母親を亡くしたあと、仮想現実によって再現された母親と生活することになります。その過程で見えてくる母の本心と、自分の心の変化が主題です。乞うご期待!

平野啓一郎(ひらの・けいいちろう)プロフィール

 1975年、愛知県蒲郡市生まれ、北九州市育ち。東京都在住。京都大在学中の99年、デビュー作「日蝕」で芥川賞。「ある男」(読売文学賞)など。「マチネの終わりに」(渡辺淳一文学賞)は福山雅治さん、石田ゆり子さん共演で映画化された。

マチネの終わりにの公式サイト

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