アイドル編<459>三木聖子(上)

西日本新聞 夕刊 田代 俊一郎

 歌手石川ひとみの最大のヒット曲は1981年発売の11枚目のシングル「まちぶせ」だ。オリコンチャート6位まで上昇した。 

 <夕暮れの街角 のぞいた喫茶店 微笑(ほほえ)み見つめ合う 見覚えのある二人> 

 作詞作曲はシンガー・ソングライターの荒井由実(松任谷由実)である。石川は78年にデビューしたが、ヒット曲に恵まれなかった。「まちぶせ」は引退をも視野に入れた瀬戸際の一曲だった。ただ、これはカバー曲だ。すでに76年にリリースされていた。最初に歌ったのは福岡県久留米市出身の三木聖子である。さしずめ同郷の松田聖子を80年代の「聖子」と呼ぶなら三木は70年代の「聖子」といえる。三木聖子は芸名だ。

 「事務所側の命名ですが、三木は当時の三木(武夫)首相から取りました。聖子は、漢字は違いますが本名のセイコからです」 

 聖子は「40年以上の前のことですが」と前置きしながら語り始めた。 

   ×    × 

 聖子は久留米市の大善寺小、筑邦西中から大牟田市の明光学園高へ進んだ。この間に人前で歌うシーンはあった。 

 「小さいころは親戚の集まりで、高校では学園祭で井上陽水さんの『人生が二度あれば』を歌いましたね」

 歌の上手な女の子ではあったが、歌手への強い欲求があったわけではない。高校2年時のちょっとした偶然が人生を変えることになった。 

 「友人が勝手に私の名前で渡辺プロダクションのオーディションに応募したんです」 

 書類審査を通過し、福岡市での二次審査へ。和田アキ子、弘田三枝子などの曲を歌った。東京の本選では優勝を逃したものの二次審査時点で渡辺プロから誘いがあった。大学進学も考えていたが、芸能界への道筋がかすかでも見えたことが持ち前のチャレンジ精神に火を点(つ)けた。 

 「私の判断に任せて、親が反対することはありませんでした」 

 福岡市の渡辺プロ系列の音楽学院に通い、歌や踊りをレッスンしながら卒業を待った。高校卒業後、一人で上京した。最初は歌手としてのデビューではなく、女優としてのスタートだった。 

 3億円強奪事件をモチーフにしたテレビドラマ「悪魔のようなあいつ」は75年に放送された。主演は大スターの沢田研二。その妹役が三木聖子だった。

  =敬称略 

  (田代俊一郎)

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