海底の「紫電改」引き揚げ模索 「攻撃から集落守った」記憶を後世に

西日本新聞 社会面 上野 和重

 鹿児島県阿久根市折口の沖合に旧日本軍の戦闘機「紫電改」が眠り、浜辺にはパイロットを弔う慰霊碑がある。パイロットは海軍航空隊407飛行隊長の林喜重大尉(死後昇進し少佐)。1945年4月21日、米軍機との戦闘の末、命を落とした。林大尉を語り継ぐ動きは乏しく、昨年秋、海底に沈む機体の写真を見た地元の自営業後藤将之さん(54)は引き揚げを模索する。「貴重な戦争遺産を後世に伝えたい」と話す。

 命日を迎えた21日午前、後藤さんは友人の川俣洋一さん(54)と慰霊碑に参った。既に誰かが花を手向け、線香が上げられていた。

 林大尉は米軍機との戦闘で被弾、海への不時着を試みたが帰らぬ人となった。住民が遺体を収容して荼毘(だび)に付し、石碑を建てた。石碑の存在を知った林大尉の部下らは82年4月21日、石碑をブロック塀で囲み、407飛行隊員の名を刻んだ碑を建立した。地元の元日本兵が清掃していたが十数年前に亡くなり、管理する人はいなくなった。ただ、今も全国から訪ねてくる人はいて、この日の線香も関係者が上げたとみられる。

 機体は石碑から約50メートル、水深2メートルの沖合に沈んでいる。近所の男性(70)によると、中学生の頃は引き潮時には機体が見え、泳いでいくことができたという。林大尉については「米軍機から集落を守った人」と親から教えられた。

 後藤さんは文献をあさり、林大尉の人となりを知った。「エースパイロットで部下思いの人だった」。友人に神奈川県鎌倉市にある墓に参ってもらった。

 「遺族に機体の一部でも渡したい」。昨年10月、阿久根市職員に浜から機体が沈む場所を見てもらった。だが、これまでも住民からの要望はなかったとし、市の担当課は「一つの墓標としての位置付けで、引き揚げは考えていない」と話したという。

 地元の子どもたちも、多くが慰霊碑や紫電改の存在を知らない。市教育委員会によると、平和教育にも活用していないという。「何とか引き揚げる道を探し、戦争によって尊い命が失われたという事実を伝えたい」。後藤さんはこう語った。 (上野和重)

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