コロナ危機と例外状態 熱狂時ほど注意必要

西日本新聞 文化面

■強い力の行使求める政権批判は一転、強権的な政権の推進力となる

 1989年、東ヨーロッパで革命の連鎖が起きると、その波がルーマニアにも押し寄せた。独裁的なチャウシェスクが民主化勢力を弾圧すると、国軍が政権に反旗を翻し、武装衝突が起きた。その結果、チャウシェスクは大統領宮殿から逃亡し、独裁政権が終焉(しゅうえん)した。

 当時中学生だった私は、この光景をテレビで見ながら、革命軍の軍事行動を喝采していた。大統領宮殿前に詰めかけた革命勢力と一緒になった気持ちで、「もっとやれ!」と拳を振り上げていた。チャウシェスクは革命側の救国戦線に拘束され、短時間の特別軍事法廷の結果、処刑された。死体映像が、日本でもテレビで映された。

 私はこの映像を見てから数日間、眠ることができなかった。それは「自分がチャウシェスクを殺した」と思ったからだった。本来であれば、彼の行ってきたことをじっくりと法廷で検証すべきだった。しかし、革命の熱狂はそのことを許さず、例外状況における超法規的な処刑が実行された。このときから、私は熱狂や興奮が起きているときは、あえて距離を取るべきだと思うようになった。世の中が一つの方向に向かって強い力を求めているときは、別の方向に目を向けることが習慣になった。

 コロナ危機に直面する中、日本では「緊急事態宣言」待望論が巻き起こった。感染者数が拡大する中、腰の重い安倍内閣に対して、リベラル派の人たちが「政府は何をやっているのだ!」「生ぬるい!」と強い力の行使を訴えた。ヨーロッパでもリベラル派のリーダーたちが市民監視の強化を叫んだ。

 イタリアの哲学者ジョルジョ・アガンベンは、政府の強い介入に懸念を示し、行き過ぎた自由の抑制に警告を発する(「感染の発明」2月26日、イタリアの新聞「イル・マニフェスト」)。彼は、人々の間に恐怖が増大化した結果、封鎖地域からの脱出やスーパーマーケットでの買い占めが起きているとし、権力は集団的パニック状態を生み出すことで、より強い権力行使を待望する心理状態を醸成していると指摘する。これに権力が呼応することで例外状態が常態化し、権力発動に歯止めがきかなくなると注意を喚起する。

 アガンベンの議論は新型コロナウイルスの脅威を軽視しすぎているきらいがある。しかし、例外状態が常態化することへの懸念は重要であり、見逃してはいけない。

 ドイツの哲学者マルクス・ガブリエルは、WEBページ集英社新書プラスで公開された論考(「コロナ危機 精神の毒にワクチンを」4月3日、「緊急事態-都市封鎖は正当化できるのか?」同8日)で、この例外状況の特徴を「科学を信仰する北朝鮮」と表現する。ガブリエルの見るところ、コロナ危機によって「知と技術によって近代のあらゆる問題を解決することができるという迷信」が強化され、「健康を完全に監視するためのデジタル化」が無制限に加速する可能性がある。近い将来、スマートフォンにコロナアプリがインストールされ、人が集まる場所が監視されるようになる。人々が交流することがウイルス感染の場と見なされ、取り締まりの対象になるかもしれない。「それは自由民主主義の終焉になるだろうが、逆説的にも科学の成功によって始まったものなのである」

 ガブリエルは科学を否定しているのではない。問題は科学の過剰であり、技術への過信にある。コロナ危機にかかわらず、現代社会における気候危機は「人間のゆっくりとした自己絶滅の結果」であり、「致死的なもの」である。コロナ危機後に求められるのは、もとの状態に戻ることではなく、世界観の転換をもたらすことである。

 政府を批判する側も、その批判の仕方を間違えると大きなしっぺ返しにあうだろう。1930年代後半の日本では、日中戦争が泥沼化する中、「強力な政権」を求める声が蔓延(まんえん)した。このとき、革新勢力の社会大衆党では挙国一致を訴える声が支配的になり、38年の国家総動員法成立の推進力となった。

 強い力の行使を求める政権批判は、一転して強権的な政権の推進力となって起動する。例外状態が常態化し、言論の自由や集会・結社の自由が制約されるようになる。熱狂が起きているときほど、注意が必要だ。(中島岳志 なかじま・たけし=東京工業大教授)

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