誰もが「当事者」、岐路に立つ世界 森達也氏に聞くコロナ禍

 日用品の買い物に行くと、街の静けさが身に染みた。思い浮かんだのは、東日本大震災後の光景。店や通りから明かりが消え、今と同じようにひっそりとしていた。

 2011年3月11日の後に社会を覆ったのは「後ろめたさ」だった。大切な人を失い、厳しい毎日を過ごす東北の被災者に同情しながら、多少の不便さを強いられるだけで済んだわが身を振り返った。結果的に、少なくない国民にとって震災は「他人事」だったとも言える。

 新型コロナウイルスの感染拡大も震災と同様に未曽有の危機だが、国民の誰にとっても「自分事」であることが違う。今後の社会の在り方が変わり得る事態だと考えている。

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 新型コロナの急速な感染拡大は、国家レベルでの資本主義と民主主義、国際社会を形作るグローバリズムが生んだ弊害でもある。

 人もモノもカネも国家という垣根を越えて動くことで現代社会は維持されている。新型コロナもそのために急速に広まり国際社会を脅かしている。各国がそれぞれの事情だけを重視して対応しても抜本的な解決は望めないのは明らかだ。だが、いまだに政策決定は国家レベルで下されている。

 同様の事情で国際社会が対応に苦慮してきた問題に地球温暖化がある。異なるのは進行の速度と影響の表れ方。ゆっくりと環境をむしばむ温暖化の影響を日常生活で感じ取るのは難しい。新型コロナの感染拡大はあっという間で、影響は生活にはっきりと及び、命が直接脅かされている。

 当初は「インフルエンザと変わらない」と高をくくっていたトランプ米大統領ですらすぐに発言を翻さざるを得なかった。温暖化問題でこれほどの方針転換は考えられるだろうか。

 世界は改めて「自国ファースト」では地球規模の問題に対応できないという事実を突き付けられた。国民国家を基軸に据える仕組みの限界を示しているのではないか。

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 局面に対応できず、かえって排外主義や「自国ファースト」に閉じこもるのか。新たな枠組みを提示して後世につなぐのか。それは従来にも増して、社会を構成する私たちの判断にかかっている。誰もが当事者となったからこそ、一人一人の声に確かな力が宿るからだ。

 当事者となってうろたえ、かつて被災者に向けることができた優しい視点を忘れることはたやすい。感染を恐れるあまり、外出自粛をしない「不心得者」の人格攻撃にも向いてしまう。

 岐路に立つ今、大切なのは理性だ。迂遠(うえん)なようであっても良識を踏まえた振る舞いを続けることこそが、コロナ禍が終息した後の世界の礎になると信じている。

(聞き手・中原興平)

◆森達也氏(もり・たつや) 1956年、広島県生まれ。監督作品にオウム真理教を描いたドキュメンタリー映画「A」(98年)、著書に「すべての戦争は自衛意識から始まる」(2015年)など。11年に「A3」で講談社ノンフィクション賞を受賞。

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 生活のあらゆる分野に影響を及ぼしている新型コロナウイルスの感染拡大は、社会の在り方を変えてしまうかもしれない。私たちはどのように現状に向き合い、「コロナ後」の展望を描けばよいのか。専門家らさまざまな人にヒントを聞く。(随時掲載)

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