平野啓一郎 「本心」 連載第225回 第九章 本心

西日本新聞 文化面

 三好は、納得していない表情だったが、

「少し考えて、また今度、会った時に話す。」

 と、一旦(いったん)、ケータイをテーブルに置いた。

 

 イフィーと三好とは、その後、アバターで何度か会って話をしたらしかった。僕はそのことを、イフィーからも三好からも聞き、やがて、二人とも何も言わなくなった。

 結局、クリスマス・イヴの二十万円は、貰(もら)ったままとなったが、三好は、

「じゃあ、助けてほしい時には、遠慮なく、こっちから言うから、しばらくはいい。」

 と、今後は、イフィーに“我慢”させることにしたらしい。イフィーは僕に、

「彩花さんは、とても面白い方ですね。朔也(さくや)さんのルームメイトだけあって、とても素敵(すてき)な方です!」

 と言った。イフィーは最初、三好のことを僕の恋人だと思い込んでいた。しかし、その時の「ルームメイト」という言葉には、どうもそうではないのではないかと察し始め、僕の反応を窺(うかが)うような気配があった。 

 僕は、イフィーのことが本当に好きで、憧れてもいたが、長く付き合ううちに、彼が表面的な快活さとは違って、かなり複雑な人間であることがわかった。決してそれを、直接的に僕に示すことはなく、僕に嫌な態度を取ったことはただの一度もなかったが。仕事には苦労も多いようだったが、その不安や苛立(いらだ)ちを、彼は決して一階のリヴィングには持ってこなかった。

 僕は、彼のその繊細な歪(いびつ)さ、とでも言うべき一面を、文章で十分に表現できていないと思う。

 長袖を着ていることが多かったので、しばらく気がつかなかったが、イフィーの左腕には、かなり目立つアームカットの痕もあった。古い傷のようだったが。

 

 僕は、クリスマス・パーティーの夜、イフィーの仮想現実システムを使わせてもらった際に、彼が慌てて消した履歴の一つのことを、何となく覚えていた。「ドレス・コード」という名のクラブ風の部屋のようだったが、クリスマス・イヴェントの案内として、「聖夜」ではなく、「性夜」という妙な漢字が当てられていたのが記憶に残っていた。

平野氏のメッセージ

私たちの生を、さながら肯定する思想を考え続けています。主人公は、愛する母親を亡くしたあと、仮想現実によって再現された母親と生活することになります。その過程で見えてくる母の本心と、自分の心の変化が主題です。乞うご期待!

平野啓一郎(ひらの・けいいちろう)プロフィール

 1975年、愛知県蒲郡市生まれ、北九州市育ち。東京都在住。京都大在学中の99年、デビュー作「日蝕」で芥川賞。「ある男」(読売文学賞)など。「マチネの終わりに」(渡辺淳一文学賞)は福山雅治さん、石田ゆり子さん共演で映画化された。

マチネの終わりにの公式サイト

PR

文化 アクセスランキング

PR

注目のテーマ